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刀剣 何でも相談室
このコーナーでは日々会員の皆様から寄せられる刀剣や刀装具に関する質問にお答えして参ります。
Q10. 刀の銘に三ッ胴裁断と書いてありますがこれはどういうことなんですか?
26歳 Kさんからの質問
これは試し銘といいます。武士にとって自らの生命を詫する愛刀の切れ味は重大な関心事です。

戦国時代の激しい争乱がようやく落ち着いてきた室町時代の末期になると剣術が流行し、次いで様々据物を切ることで、 その刀の切れ味を試す試剣術が生まれます。
そして、実際に試し切りを行った結果を茎部分に切りつけたり象嵌したものが 試し銘と呼ばれるものです。
この試剣術には様々な流派があり、その開祖とされているのが天正(1573〜1592年) 文禄(1592〜1596年)頃に豊巨秀吉、徳川秀康に仕えて丹波国で活躍した武将谷出羽守衛友です。彼がその基礎を 創りその弟子の中川左平太重良が体系化したのが谷流といわれています。中川流、山野流、山田流と別れていき、 それぞれ発展していきます。
この試剣術が最盛期を迎えたのが寛文(1661〜1673年)、延宝(1673〜1681年) 頃で、刀姿も正に「寛文新刀」と呼ばれる元身幅に対して先身幅の狭い小切先で極端に反りの浅い刺突に最も適した形でした。
現在茎(中心)に見られる試し銘の大半はこの期のものであるといっても過言ではありません。そして、この頃の試し銘は 殆ど金で象嵌されたものです。
しかし18世紀に入り、享保頃(1716〜1736年)を過ぎるとあまり見られなくなります。 新々刀期に入るとまた復活してきますが、この頃の試し銘は費用のかかる象嵌銘は殆ど見られず、切りつけ銘が多く見られます。
先程少し触れましたが、試剣術の最盛期にあって試し切りの名手であったのが山野加右衛門永久、山野勘十郎久英親子、山田 浅右衛門貞武です。一般武人の追随を許さない秘術を体得していたとの記述が山田家秘伝書にもあります。
そして彼ら名人による試し切りですが、まず用いられる死体は成年男子だけで、女子、子供は除かれました。それは骨が小さく 柔らかい上に、肉も締まりがなく切りやすいからだといわれています。
また同じ男子でも、体の部位によって堅い骨のある部分と そうでない部分があるので結果が異なります。
従って切った個所が明示されていないと比較できません。 その裁断個所の名称が図のとおりです。但しこの名称は時代によって異なります。江戸初期、中期までは古い名称で呼んでおり、 江戸後期、天明(1781〜1789年)頃以降は新しい名称で呼んでいるので同じ名称でも時代によって個所が異なるのを 注意していただきたいと思います。
また裁断個所で最も固い個所から順に示すと
1、太々 2、両車 3、雁金 4、乳割 5、脇毛 6、摺付 7、車先 8、一の胴 9、二の胴 10、三の胴となります。
例えば新刀期の有名刀工で当時幕府のお抱え鍛治であった石堂運寿是一がかの有名な遠山の金さんこと遠山左衛門尉景元に依頼され て作った

(表)(葵紋)為市尹遠山君 石堂運寿是一作
(裏)嘉永元年八月日 同年十一月於千住 一ノ胴裁断 同年同胴太々裁断 山田浅左衛門吉利

という銘があります。 これは、まず市尹や尹市=市長とか町奉公という意味であるので、それを踏まえると是一が1848年8月に南町奉行の金さん の為に作ったという意味です。
そして、山田浅右衛門吉利が同年の11月に千住(現東京都荒川区)の刑場において同じ死体の一ノ胴と太々の部分を見事に 一刀両断したという意味になります。これが裁断個所による銘です。
それ以外に、死体を重ねて切る方法があります。
これが一ッ胴裁断や二ッ胴裁断といわれる物です。この一ッ胴、ニッ胴というのは 人数を表しています。
一ッ胴の場合は死体の両手を上げた状態で土壇(土を盛り上げて作った体を乗せるための台で、土壇場という 言葉はここからきています。)に横向きに乗せ、顔を向こう向きにします。そして縄で固定して先程の裁断個所でいう乳割り以上 の堅さの部分を切ります。これが一ッ胴裁断です。
死体を横向きに置くのはうつ伏せ、仰向きの時より幅が小さくなるので 刀身と触れる面積が小さくなり、摩擦も少なくなるため切りやすくなるという理由からです。
そして二ッ胴になると互い違いに置くという要領で三ッ胴、四ッ胴・・・と数が増えていきます。
現在存在する刀の試し銘として最高なのは”七つ胴落”と銘のある関の兼房の刀です。延宝9年(1681年)に山野流の名手 である中西十郎兵衛如光が試し切りを行ったものですがここまでいくと刀の出来も然ることながら切り手の腕も相当なものであった 事が想像できます。
また重ね胴による試し銘で

(表)大和守安定
(裏)二ッ胴三ッ胴四ッ胴切落 万治三年九月日 山野加右衛門尉永久

 というのがあります。 これは業物で有名な安定の刀を山野流名手永久が1660年に試し切りしたものであるが、二ッ胴、三ッ胴、四ッ胴と 三回もやらせなければこの刀の切れ味が信用できなかったということになります。この刀の持ち主はよほど疑り深い人だったのでしょう。
最後に、業物と呼ばれる刀のランクですが、文化(1815年)に山田浅右衛門吉暁が著した「懐宝剣尺」という書物があります。
これは自らが手がけた刀をその切れ味の良し悪しによりランク付けしたものです。
これによると最高ランクの最上大業物には新撰組隊長近藤勇の愛刀「虎鉄」こと長曾禰興里入道虎鉄(武蔵の国、新刀) 人斬り以蔵と畏れられた岡田以蔵の愛刀である三代忠吉こと陸奥守忠吉(肥前国、新刀)などが選ばれています。

今回は刀の切れ味のお話をさせていただきました。 名刀と呼ばれる刀にはそれぞれに色々な理由がありますが、 よく切れる刀というのは鑑賞していても気が抜けない、戦いを予感させるえもいえぬ緊張感があります。 その感覚は日本男児特有の心、時代を一人戦い抜いていく精神であると私は思います。
【参考資料】
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