短刀 生ぶ無銘(伝新藤五)
(でんしんとうご)
Tanto:Mumei (Den Shintougo)
古刀・相模 鎌倉末期 最上作
特別保存刀剣鑑定書付き
探山先生鞘書き有り
刃長:24.8(八寸二分弱) 反り:僅かに内反り 元幅:2.14 元重ね:0.62 穴3
平造り、三ッ棟低め。 表は素剣、裏は梵字に腰樋をハバキ下で掻き流す。 鍛え、小板目肌が美麗に詰んだ地鉄は、地色明るく 部分的に流れ肌が肌立ち 細美な地沸、地景をふんだんに織り成し、 沸映り判然と立って、地鉄精良。 刃文、細直刃調の刃文は、刃縁に小沸良く付いてほつれ掛かり 刃中波状にうねるような金筋が頻りに働く。 帽子、直調で荒目の沸付き、刃中から地に掛けて筋状の沸が多数現れ、先掃き掛けて小丸に返る。 茎生ぶ、先浅い栗尻、鑢不明。 銅に金着せ二重ハバキ。 時代最上研磨。 白鞘入り。
【コメント】
新藤五国光(生ぶ無銘)の短刀、相州鍛冶の事実上の祖、同工の典型的な地刃の出来を示した会心作です。
新藤五国光は、山城粟田口国綱の子と伝わる相州鎌倉鍛冶で、活躍期は永仁(一二九三~九九年)から正中(一三二四~二六年)頃まで、重要文化財の短刀に『鎌倉住人新藤五国光作 永仁元年十月三日』と銘があり、これが同工最古の年紀になります。
短刀のみ多い刀工で、太刀は僅少、短刀の名手としても名高く、親類関係にある粟田口藤四郎吉光と双璧を成す名工です。国宝の短刀三口、重要文化財の太刀二口、短刀八口、重要美術品の太刀一口、短刀九口を数え、国宝の名物短刀『会津新藤五』、重要美術品の名物短刀『乱新藤五』など、数々の名物が残されています。
同工の門下には相州行光、正宗、越中則重、子の国廣門下には相州廣光、秋光、長谷部国重などがいます。相州鎌倉鍛冶の草分け的存在と言えば、父とされる粟田口国綱、備前三郎国宗、一文字助真ですが、前述のように、銘文に居住地、年紀を刻した作が残されていること、そうそうたる門人達の顔ぶれを見ても、相州鎌倉鍛冶の事実上の祖が国光であることは明白です。
作風は、出自である粟田口一派を思わせる美しい小板目鍛えを主体にし、同工の場合、地景、湯走り、沸映り等、地沸の働きがより著しくなります。刃文は直刃を得意とし、糸、細、中、広直刃など多様で、ほつれ、金筋、稲妻等、光りの強い沸の働きが見られます。前述の『乱新藤五』だけは、下半が烈しい互の目乱れになっていますが、乱れ刃はこれ以外皆無に等しいかと思います。帽子は基本直調で小丸に返りますが、下方の焼き刃より沸が荒くなり、時折、刃中から地に掛けて幾つかの沸筋が見られることもあります。これを『翁の髭』と称し、同工の見所としています。
彫り物は素剣、梵字、護摩箸、腰樋など簡素なものを見ます。
本作は生ぶ無銘、寸法八寸二分弱、フクラやや枯れ気味で三ッ棟の造り込み、重ねしっかりとして、僅かに内反りの付いた鎌倉末葉の短刀姿を示しています。
小板目肌が美麗に詰んだ地鉄は、この上なく精良で、地色すこぶる明るく、部分的に流れ肌が肌立ち、細美な地沸、地景をふんだんに織り成し、沸映りが判然と立っています。細直刃調の刃文は、刃縁に小沸良く付いてほつれ掛かり、刃中波状にうねるような金筋が頻りに働いています。帽子は直調で荒目の沸が付き、刃中から地に掛けて筋状の沸が幾つか見られますが、これがいわゆる『翁の髭』です。
表に素剣、裏に腰樋の生ぶ彫りは、簡素ながら鏨が深く、味わい深い良い彫り物です。
鑑定では『伝新藤五』とやや消極的な極めを与えていますが、無数の地景を織り成した精緻な鍛え、沸映り、刃中のうねるように煌めく金筋、『翁の髭』等々、随所に同工の手癖が顕示された名品、探山先生の鞘書きでは、『新藤五国光』とし、『生ぶ茎無銘と言えども、同工と鑑すべき優品也。』と明記してあります。
現状は特別保存ですが、是非とも更なる高みを目指して頂きたいロマン溢れる新藤五国光です。