刀 (金象嵌銘)則重
(のりしげ)
Katana:Norishige
古刀・越中 鎌倉最末期 最上作
第四十五回重要刀剣指定品
探山先生鞘書き有り
刃長:71.3(二尺三寸五分強) 反り:2.0 元幅:3.05 先幅:2.12 元重ね:0.70 先重ね:0.51 穴3
鎬造り、鎬高め庵棟低い、中切っ先僅かに延び心となる。 表裏共に棒樋を掻き流す。 鍛え、板目に大板目、大杢目、流れ肌を交えて肌立ち、地色にやや黒みがあり、所々地班風の肌合い 地沸厚く付き、地景入り、地鉄良好。 刃文、直湾れ調で互の目、小互の目、小乱れ、小丁子風の刃を交え、刃縁沸付いて匂い深く、刃中葉、小足頻りに入り、金筋、砂流し烈しく掛かる。 帽子、直調で沸付いて頻りに掃き掛け、先小丸風に返る。 茎大磨り上げ、先栗尻、鑢筋違い。 銅に金着せ二重ハバキ。 時代最上研磨。 白鞘入り。
【コメント】
『正宗十哲』、越中則重(金象嵌銘)の重要刀剣、地刃健全、鎌倉最末期の雄渾な太刀姿、鍛えに『松皮肌』、刃には千変万化の沸の働きを示した傑作です。
則重は、五郎次郎と称し、佐伯姓を名乗り、鎌倉末期、越中国婦負郡(ねいぐん)呉服(現富山市五福付近)にて鍛刀したと伝わることから、呉服郷則重とも呼ばれます。古来より正宗十哲(現在では正宗、則重両名とも新藤五国光門人とされる)にもその名を連ねる、名工中の名工です。
在銘太刀は極々僅か、短刀の多い刀工でもあり、『日本一則重』の号で呼ばれる国宝の短刀一口を始め、重要文化財八口、重要美術品十一口の指定品がありますが、その六割が短刀です。
作風は、正宗に近似しますが、沸の変化に於いては、正宗以上に示したものが多く、特に太い地景交じりの大板目肌が、渦巻き状に肌立つ鍛えは『松皮肌』と称され、同工の代名詞にもなっています。これらの鍛えが刃縁、刃中に絡んで様々な働きを見せるのも大きな特色、刃文も直調に湾れ、互の目、互の目乱れなど様々で、刃中の太い互の目足、沸崩れ、砂流し、金筋など、沸の働きが豊富で、たとえ無銘であっても、他に紛れることがありません。
数少ない年紀作に見る活躍期は、延慶(一三〇八~一一年)から正中(一三二四~二六年)頃までとなっています。
本作は平成十一年(一九九九年)、第四十五回重要刀剣指定品、大磨り上げ無銘ながら『(金象嵌銘)則重』極めが付されています。
寸法二尺三寸五分強、切っ先僅かに延び心で、反りやや深め、元先身幅しっかりとした力強い姿は、鎌倉最末期と鑑せられるスタイル、地刃健やかで、樋が掻き通してありますが、手持ちがズシッとくるこの重量感は大変立派です。
板目に大板目、大杢目、流れ肌を交えて肌立つ地鉄は、いわゆる松皮肌状を呈し、地色にやや黒みがあり、所々地班風の肌合いを交えています。
直湾れ調で互の目、小互の目、小乱れ、小丁子風の刃を交えた焼き刃は、刃縁沸付いて匂い深く、刃中葉、小足頻りに入り、金筋、砂流しが烈しく掛かっています。
探山先生鞘書きに、『古備前、古伯耆を参酌(さんしゃく=他のものを参考にして良い所を取り入れること)した感のある古調な出来ながら、姿は強く、地刃の沸一段と烈しくなるなど、沸出来の妙味が存分に発揮された健やかな優品也。』とあります。
確かに則重の作は、在銘、無銘問わず、出来だけ見れば、古備前、古伯耆鍛冶の作と思えるような出来が大半です。
違いは姿、本歌は平安末期から鎌倉初期の優美な太刀姿になりますので、それによって大凡判別出来ますが、仮に無銘で姿も近いものであれば、完全に紛れてしまうでしょう。
実際、無銘で古伯耆安綱と則重で意見が割れて、現在は『伝則重』として重要文化財に指定されているもの、在銘でも出来が古備前にしか見えない重要美術品等々、多数残されています。
同工が古伝書等で、『肌ごしらえの上手也。』と言われる所以の一つがここにあるかと思います。
図譜には、『この刀は、鍛えはいわゆる松皮肌状を呈し、刃中の働きが豊富で、則重の金象嵌極めは首肯される。手持ちがズッシリと重い健体な姿も好ましく、地刃共に出来が優れている。』とありますが、横手下棟側に残された受け疵が物語っているように、幾多の戦乱を掻い潜った刀が、今もこれだけ健全な状態であることに唯々驚くばかりです。
経年によってかなり剥落していますが、則重極めの金象嵌銘は、何とも雰囲気があって魅力的です。
寸法充分で健全、且つこれ位覇気溢れる則重は、今後中々お目に掛かることはないでしょう。
正宗を上回る鉄鍛えの名人越中則重、千変万化と評される、同工特有の沸の働きを存分にお楽しみ頂ける素晴らしい一振りです。