刀 (太刀銘)肥前国住近江大掾藤原忠廣
(ひぜんのくにじゅうおうみだいじょうふじわらただひろ)
Katana:Hizennokuniju Oumidaijo Fujiwara Tadahiro
新刀・肥前 江戸前期 大業物
第二十三回重要刀剣指定品
薫山先生鞘書き有り
『鑑刀日々抄』及び『肥前刀大鑑』所載品
刃長:69.0(二尺二寸八分弱) 反り:1.8 元幅:3.06 先幅:2.16 元重ね:0.72 先重ね:0.57 穴1
鎬造り、鎬高く庵棟低い、中切っ先。 表裏共に棒樋をハバキ下で掻き流す。 鍛え、小板目に小杢目を交えて良く詰み、地沸微塵に厚く付き、細かな地景繁く入り、地鉄精良。 刃文、互の目丁子乱れを主体に、大互の目、大房丁子、小互の目を交え、刃縁沸付いて匂い深く明るく締まり、刃中葉、丁子足繁く入り、金筋、砂流し掛かる。 帽子、直調で先僅かに掃き掛け小丸に返る。 茎生ぶ、先入山形、鑢切り。 銅に金着せ二重ハバキ。 時代最上研磨。 白鞘入り。
【コメント】
近江大掾忠廣の重要刀剣、美麗な小糠肌に華やかな肥前丁子を焼いた傑作、『鑑刀日々抄』及び『肥前刀大鑑』所載品です。
忠廣は、初代忠吉の嫡子で慶長十九年生まれ、寛永九年八月、父の死に伴って、十九歳で二代目を相続、寛永十八年七月に『近江大掾』を受領しました。
作刀期間は、寛永から元禄まで六十余年、元禄六年、八十一歳没。
作風は、父同様、小板目詰んだ小糠肌に、伝統の肥前直刃を真骨頂とし、稀に互の目を主体に湾れ、丁子の交じるもの、足長丁子風のものもあります。
これまでで同工の重要刀剣指定品は百四十余振り、これは初代(武蔵大掾忠廣銘を含む)とほぼ同数、在銘品としては、全刀工中の一位と二位です。
銘振りは、初期は『肥前国住藤原忠廣』、受領後は『肥前国住近江大掾藤原忠廣』、『肥州住近江大掾藤原忠廣』、『近江大掾藤原忠廣』となり、年紀作はほとんどありません。
本作は昭和五十年(一九七五)、第二十三回の重要刀剣指定品、寸法二尺二寸八分弱、身幅、重ねしっかりとして、姿も美しい会心作です。
年紀はありませんが、銘振り、刀姿等からして、寛文末年から延宝初年頃、同工六十歳前後の作と鑑せられます。
良く詰んだ緩みのない最上の小糠肌、互の目丁子乱れを主体に、大互の目、大房丁子、小互の目を交えた焼き刃は、刃縁明るく締まり、刃中葉、丁子足繁く入り、金筋、砂流しが掛かっています。
決して豪壮無比なスタイルではありませんが、地刃すこぶる健全、研ぎも素晴らしく地刃が冴え渡っています。
薫山先生鞘書きには、『丁子乱れの佳作』とあり、『鑑刀日々抄』にも所載、加えて『肥前刀大鑑』にも同工の代表作として所載されており、『肥前丁子の華やかな作で出来が特に良い。』とあります。
新刀重要は、狭き門故に欠点が見当たりません。近年稀に見る近江大掾、肥前丁子の傑作です。