脇差し 於東都固山宗次作之
(とうとにおいてこやまむねつぐこれをつくる)
天保十三年壬寅八月吉日(一八四二年)
同年九月十一日 於千住小塚原様之 太々土壇拂


Wakizashi:Tohto Koyama Munetsugu



新々刀・武蔵 江戸末期
保存刀剣鑑定書付き




刃長:45.8(一尺五寸一分強) 反り:1.0 元幅:3.07
先幅:2.31 元重ね:0.77 先重ね:0.54 穴1




 鎬造り、鎬高く庵棟低い、中切っ先延びる。 鍛え、板目肌が沈み勝ち詰んだ地鉄は、細かな地景を配して上品に肌立ち、地沸良く付き、地鉄良好。 刃文、匂い勝ちの互の目丁子乱れを主体とした焼き刃は、箱掛かった刃、矢筈風の刃、尖り風の刃を交えて、匂い口柔らかく明るく締まる。 帽子、乱れ込んで先突き上げ気味となり僅かに掃き掛け返る。 茎生ぶ、浅い入山形、鑢化粧筋違い。 銅に金鍍金ハバキ。 時代研磨(僅かにヒケ有り)。 白鞘入り。



【コメント】
 宗次は固山宗兵衛と言い、享和三年(一八〇三年)、陸奥国白河(現福島県白河市)に生まれました。その師に付いては、水心子正秀門下の加藤綱英と言われますが、実際にはその弟で丁子刃を得意とした長運斎綱俊の影響を強く受けていると考えられています。兄に宗平、宗俊がおり、一専斎、精良斎とも号しました。初め白河藩松平家の抱え工として鍛刀し、文政六年(一八二三年)、主家が伊勢桑名藩へ国替えされると、それに伴い桑名藩工となりましたが、大半は江戸麻布永坂、飯倉、四谷左門町にて鍛刀しています。弘化二年(一八四九年)に『備前介』受領、正確な没年は不明ですが、作品は文政後半から明治四年頃まで残っています。
 作風は一貫して備前伝、綺麗な地鉄に匂い出来の華やかな丁子刃を焼き、その美しさは新々刀随一とされます。また大業物作者としても名高く、試し斬り名人、七代目山田浅右衛門吉利、尾張犬山藩士で試斬家でもあった伊賀兎毛(伊賀四郎左衛門乗重)らに、刃味利鈍の指導を受け、斬れ味を追求し続けました。
 本作は天保十三年、同工四十歳の頃の作、いわゆる『天保打ち』の良脇差しです。
 『天保打ち』とは、同工前期に当たる二十代の終わりから四十代初め頃までの作を指し、この頃に覇気溢れる傑作が多いとされることから重宝されます。実際同工の重要刀剣指定品の内、六割近くが『天保打ち』であることもその裏付けの一つかと思います。
 本作は寸法一尺五寸一分強、切っ先グッと延びて鎬高く、重ねのしっかりした姿の格好良い脇差しです。
 匂い勝ちの互の目丁子乱れを主体とした焼き刃は、箱掛かった刃、矢筈風の刃、尖り風の刃を交えて丹念に焼いており、匂い口柔らかく明るく締まっています。現状は保存ですが、特別保存までは問題ありません。
 茎裏には同年九月に試し斬りを行った旨が刻されています。『於千住小塚原』とあるのは、かつてその地に江戸前期から明治初年に掛けて存在した『小塚原刑場』を指しています。現在の東京都荒川区南千住付近に当たり、『鈴ヶ森刑場(品川区南大井)』、『大和田刑場(八王子市大和田町)』と合わせて、『三大刑場』とも呼ばれました。その他には『伝馬町牢屋敷(中央区日本橋小伝馬町)』なども有名です。
 『太々』は首下付近、截断箇所としては最も硬い部位ですが、それを斬り落とした上、更に土壇まで斬り込む程の斬れ味です。
 固山備前介宗次の貴重な『天保打ち』の典型作、最上の斬れ味を誇る狙い目の逸品です。 
















商品番号:M-455 脇差し 於東都固山宗次作之 保存刀剣鑑定書付き

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