刀 (太刀銘)左行秀造之
(さのゆきひでこれをつくる)
嘉永五年八月日(一八五二)


Katana:Sano Yukihide



新々刀・土佐 江戸末期
特別保存刀剣鑑定書付き




刃長:78.4(二尺五寸九分弱) 反り:1.4 元幅:3.23
先幅:2.03 元重ね:0.89 先重ね:0.56 穴1




鎬造り、鎬高く三つ棟尋常、中切っ先やや鋭角となる。 表裏棒樋をハバキ下で丸留める。 鍛え、板目肌流れ心に良く詰み、地沸微塵に厚く付き、地景をふんだんに配し、地鉄良好。 刃文、互の目乱れを主体とし、角張った刃、尖り心の刃、湾れを交え、刃縁良く沸付いて匂い深く、刃中所々金筋、砂流し掛かる。 帽子、焼き深くその先は大きく湾れ込んで小丸に返る。 茎生ぶ、先栗尻、鑢筋違い。 銅に銀着せハバキ。 時代研磨(棟に小サビ有り)。 白鞘入り。  



【コメント】
 左行秀は、文化十年(一八一三)、伊藤又兵衛盛重の嫡子として、筑前国上座(じょうざ)郡朝倉星丸の里、現在の福岡県朝倉市杷木(はき)星丸に生まれました。筑前左文字三十九代目と称し、豊永久兵衛、東虎とも称しました。天保初年に江戸へ出て、細川正義門人の清水久義に鍛刀を学び、弘化三年(一八四六)、土佐藩工関田勝廣の勧めにより土佐へ下り、安政二年(一八五五)には土佐藩工となります。万延元年(一八六〇)の終わりから文久二年(一八六二)の初め頃までの間に、江戸へ戻り、深川砂村の土佐藩邸にて鍛刀しましたが、慶応三年(一八六七)、板垣退助との不和が元で、同年夏に土佐へ帰っています。晩年は嫡子の幾馬と横浜で余生を過ごし、明治二十年(一八八七)、七十五歳で没。
 年紀作に見る活躍期は、天保十一年(一八四〇)から明治三年(一八七〇)まで、作風は、初期は丁子乱れ風の作もありますが、土佐へ下った弘化三年以降は、広直刃調、湾れ調の刃取りで、刃中互の目足入って沸崩れとなるなど、それまでとは別人とも思えるような作風に変化します。特に刃縁の沸匂いの明るさは同工ならではであり、同時期では他に類を見ません。こういった作風は、古くは江義弘、新刀では井上真改、長曽祢虎徹らに見られるもので、同工もこれらに私淑したものと考えられます。
 銘は最初『豊永行秀』、嘉永初め頃から『左行秀』、慶応末年頃からは『豊永東虎行秀』などと、『東虎』を添えた銘振りも見られます。
 本作は嘉永五年、同工四十歳頃に当たる壮年期の作、寸法二尺五寸九分弱、鎬高い三つ棟の造り込みで反りやや浅く、重ねのガシッとした如何にも幕末らしい長尺刀、手持ちズシッとくる地刃健やかな一振りです。
 板目肌が流れ心に良く詰み、地沸微塵に厚く付き、うねるような地景をふんだんに配した地鉄、互の目乱れを主体とした焼き刃は、角張った刃、尖り心の刃、湾れを交え、刃縁良く沸付いて匂い深く、刃中所々金筋、砂流しが掛かっています。 
 地に少し鍛え肌等もありますが、この寸法、重量感、覇気溢れる地刃の出来は何とも魅力的です。
 幕末期、勤皇の雄藩であった土佐藩、その藩主山内容堂が行秀の刀を『今正宗』と絶賛したことから、土佐出身の志士達からの注文が激増、注文主の中には坂本龍馬の実兄、坂本権平の名も見ます。その雄壮な姿から『土佐の長刀』とも呼ばれた左行秀の壮年期に於ける幕末勤王刀、これは見逃せません。














商品番号:N-203 刀 (太刀銘)左行秀造之 嘉永五年八月日(一八五二) 特別保存刀剣鑑定書付き

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