直刀 酒井一貫斎繁政謹作
(さかいいっかんさいしげまさつつしんでつくる)
昭和六十一丙寅年正月吉日
Cyokuto:Sakai Ikkansai Shigemasa
現代・埼玉
無鑑査刀匠

刃長:74.9(二尺四寸七分強) 反り:僅かに内反り
元幅:2.56 元重ね:0.42 穴なし


【コメント】
繁政は酒井寛と言い、明治三十八年、静岡に生まれ、大正十年、十六歳で東京に出て、笠間一貫斎繁継の門に入り、昭和七年に独立、師より『繁』の一時を賜り、初銘を繁正、後に繁政と改め、一貫斎と号しました。昭和八年に日本刀鍛錬会に入会、いわゆる靖国刀匠として三年活躍、昭和十六年に陸軍、昭和十九年に海軍受命刀匠に任命され、戦後は埼玉県坂戸市へ移住、昭和五十六年、無鑑査に認定されました。平成八年、九十一歳没。
作風は、戦前の初期作では師風の逆丁子乱れ、戦後は互の目乱れが主体となります。
本作は昭和六十一年、同工八十一歳の頃の作、貴重な直刀です。
寸法二尺四寸七分強、切り刃造りで丸棟、僅かに刃側に湾曲した特異なスタイルを示しています。
直刀は、日本刀が登場する以前、古くは三世紀の古墳時代から平安中期頃まで製作されており、突くことよりも断ち斬ることを主とし、切り刃造り、直刃を基本としています。最も有名な作が、国宝『丙子椒林剣』と『七星剣』であり、六世紀の飛鳥時代、聖徳太子(厩戸皇子)の差し料であったと伝わります。
地刃に少し鍛え肌もありますが、本歌に倣った真面目な作、刀身表裏の鎬地には、『敷島の大和心を人問わば朝日に匂ふ山桜花』の彫りがあります。
これは江戸後期、伊勢松阪の国学者、本居宣長が詠んだ余りにも有名な短歌、『敷島』とは日本の古称で、『大和』や『日本』の枕詞として使われます。
ある時『大和心』を問われた宣長は、『例えば朝日に照り輝く芳しい山桜花の美しさに触れた時、言葉にならない感動が込み上げてくるような感受性の豊かな心である。』と答え、その意を込めてこの歌を詠んだとされています。
山桜花のみを図案化することで、その美しさがより際立つ配慮が成されています。
大和魂を刀身に刻んだ究極のお守り刀、無鑑査刀匠酒井一貫斎繁政の直刀です。




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