刀 栗原謙司信秀
(くりはらけんじのぶひで)
安政三年十二月日(一八五六) 依後藤義年好
Katana:Kurihara Kenji Nobuhide
新々刀・武蔵 江戸最末期
特別保存刀剣鑑定書付き
薫山先生及び探山先生鞘書き有り

刃長:72.8(二尺四寸) 反り:1.7 元幅:3.22
先幅:2.05 元重ね:0.73 先重ね:0.47 穴1


【コメント】
栗原信秀は、文化十二年、現在の新潟市南区月潟付近に生まれ、文政十二年に上洛して鏡師として活躍した後、嘉永三年に江戸へ出て二歳年上の清麿門に入りました。嘉永五年には独立、嘉永六年八月から七年に掛けて、相模国浦賀、元治元年八月から慶応三年正月までは大坂今宮でも鍛刀、慶応元年、『筑前守』を受領、年紀作に見る活躍期は、嘉永五年から明治十年まで、明治十三年、東京本郷元町宅にて六十六歳で没。
作風は、師同様に互の目乱れを主体とした覇気溢れるものが多く、その技量は清麿門下中卓抜したものがあり、師に迫る名品を数々生み出しています。
また彫りの名人としても有名で、越前記内、本荘義胤などに範を取った斬新で濃厚緻密な作が多く見られ、月山貞一、本荘義胤と共に、幕末の『三大名人』と呼ばれます。
銘振りの変遷として、最初期は『信秀』二字銘、嘉永七年から文久二年までは、『栗原謙司信秀』銘、文久三年から元治二年までは、『平信秀』若しくは『信秀』銘となり、銘も大振りになります。慶応元年から同四年までは、『筑前守信秀』銘が主で、明治元年からは、『栗原筑前守平朝臣信秀』なども加わります。
本作は安政三年、同工四十二歳の頃の作、寸法二尺四寸、茎裏に『依後藤義年好』とあるように、いわゆる注文打ちの入念作です。
互の目乱れを主体とし、尖り風の刃、小互の目、丁子風の刃を交えた焼き刃は、刃縁沸付いて明るく締まり、刃中烈しい金筋、砂流しが頻りに掛かり、帽子も沸付き、先烈しく掃き掛けています。
この覇気溢れる刃中の沸の働きこそ清麿一門の真骨頂であり、特に信秀は清麿風を良く学んだ感があります。探山先生鞘書きにも『同工初期に於ける優品、且つ注文打ちの添え銘も好資料也。』とあります。
栗原謙司信秀の壮年期に於ける典型作、覇気溢れる自信作です。





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