短刀 寿昌(山浦真雄の前期銘)
(としまさ)
弘化四年五月日(一八四七)
Tanto:Toshimasa
新々刀・信濃 江戸末期 拵え付き
特別保存刀剣鑑定書付き

刃長:16.4(五寸四分強) 反り:僅かに内反り 元幅:1.90 元重ね:0.60 穴1

合口拵え(幕末期 全長27.5 鞘柄共に黒の呂塗 下げ緒橙色 目釘ねじ式、素銅に金色絵)付き。

【コメント】
山浦真雄は、文化元年(一八〇四)、現在の長野県小諸市生まれ、本名は昇、幼名を駒次郎、完利(ひろとし)とも称しています。その九年後の文化十年(一八一三)に生まれたのが、弟正行(清麿)です。十二歳の頃から、信濃国小諸藩士、諏訪清兼に剣術を学び、己に見合う最強の一振りを求めて二百余振り試したものの見付からず、自らそれを鍛えるために、刀匠の道を志したと云います。文政十一年(一八二八)、弟正行と共に、信濃国上田藩工の河村寿隆に入門、嘉永六年から松代藩真田家の藩工になりました。
年紀作に見る活躍期は、文政十三年(一八三〇)から明治七年(一八七四)まで、同年、七十一歳にて没。 作風は、最初期は因州浜部一門であった師に倣い、刃縁の締まった重花丁子風の刃文を焼きましたが、それ以後は、清麿同様に相州伝の烈しい互の目乱れが主体となります。
銘振りは、最初『天然子完利』、天保二年から弘化末年頃までは『寿昌』、『天然子寿昌』、『信濃国寿昌』、嘉永元年から『源正雄』、『山浦昇源正雄』、嘉永四年から、『山浦真雄』、『信州住真雄』、『信濃国真雄』、文久三年頃から、『遊射軒真雄』、『遊雲斎真雄』などと、号を添えた銘も見られるようになり、晩年明治元年九月からは、『寿長』と銘じています。
本作は真雄の寿昌銘による稀少な短刀、弘化四年作、同工四十四歳の頃に当たります。
板目良く詰み、総体的に流れ心で上品に肌立つ地鉄は、地色やや黒みを帯び、互の目乱れを主体に小互の目、湾れを交えた焼き刃は、刃縁に筋状の湯走り、刃中金筋、砂流し掛かり、帽子も先尖り風に烈しく掃き掛け返るなど、真雄の前期作にまま見られる典型的な作風を示しています。
これまで本誌では、『遊雲斎真雄』、『山浦真雄』、『正雄』銘の作は掲載しましたが、『寿昌』は初掲載、小振りな短刀ですが、高い技量が全て集約された真雄の前期作、年紀もピシッと入っていますので、山浦一門コレクションには欠かせない一振りです。




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