刀 津田越前守助廣(丸津田)
(つだえちぜんのかみすけひろ)
延宝三年八月日(一六七五)
Katana:Tsuda Echizennokami Sukehiro
新刀・摂津 江戸前期 最上作 大業物
特別保存刀剣鑑定書付き

刃長:72.1(二尺三寸八分弱) 反り:1.3 元幅:3.16
先幅2.35 元重ね:0.76 先重ね:0.58 穴2


【コメント】
二代助廣は、寛永十四年、摂津国打出村(現在の芦屋市)に生まれ、大坂に出て初代助廣の門人となり、後に養子となって二代助廣を襲名、井上真改と双璧を成す、大坂新刀鍛冶の最高峰で、同工が創始した濤瀾刃は、今や華やかな乱れ刃の代名詞となっています。
作刀期間は、承応二年から天和二年までの三十年余りですが、明暦三年の終わり、二十一歳の頃までは、初代の代作代銘を行っています。同年『越前守』を受領、万治元年から二代助廣として独立、これ以降が自身銘の作になります。
銘の変遷としては、最初は基本『越前守助廣』銘、寛文七年二月からは、津田を冠した『津田越前守助廣』銘、いわゆる『角津田』銘となり、筋違いのみであった鑢目に、同工特有の香包化粧鑢が加わり、寛文七年八月からは、裏年紀のみ草書風となります。『角津田』銘は、延宝二年二月までの七年間、それ以降天和二年正月までの八年間は、表裏草書風の『丸津田』銘となります。同年三月、四十六歳で急逝。
作風は、初代の代作期に於いては、丁子に互の目交じり、小丁子乱れ、焼きの高い足長丁子など、全て初代風を継承していましたが、寛文三年に初代が没してからは、濤瀾風の刃が交じる互の目乱れへ移行、焼きの谷に玉を焼くようになります。同工の代名詞でもある濤瀾刃が完成するのは、角津田銘の終わり頃、延宝年間に入ってからとなります。
本作は延宝三年八月、同工三十九歳の頃の作、いわゆる『丸津田』銘の華やかな濤瀾風互の目乱れの会心作です。
寸法二尺三寸八分弱、反りやや浅め、身幅、重ねしっかりとした地刃健全な一振りです。
下が生ぶ穴で、二寸程磨り上がっており、元来は二尺六寸近くあったことが分かります。
小板目肌が総体的に良く詰んだ地鉄、互の目乱れを主体に、濤瀾風乱れ、矢筈風乱れを交えた焼き刃は、刃縁沸匂い深く明るく冴え渡っています。美しい沸粒、柔らかな匂いに覆われた刃縁状態は、同工ならではと言える素晴らしい出来映えです。
この頃は心技体全てに於いて充実した同工大成期であり、且つ濤瀾刃の完成期に当たるため、多くの名作を残していますが、本作も生ぶならば、重要刀剣候補筆頭にその名が挙がるでしょう。 更にこの度、岐阜関の名人、各務(かがみ)弦太による最上研磨を施したため、地刃の冴え、艶感が違います。
各務氏は平成元年、岐阜市生まれ、日刀保の『現代刀職展』刀剣研磨部門にて、文部科学大臣賞、竹屋賞、薫山賞を筆頭に、入賞十五回を数え、令和三年から国指定重要文化財などの手入れも担当、今年三十四歳を迎える無鑑査候補筆頭の名工です。
流石は名人、元々良く冴えた助廣の地刃が、更に倍良く見えます。
少し茎が荒れていますが、丸津田銘、延宝年紀入り、濤瀾乱れの作は、中々出ません。これは押さえて下さい。



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