脇差し 伯耆守藤原信高(初代)
(ほうきのかみふじわらのぶたか)
Wakizashi:Houkinokami Fujiwarano Nobutaka
新刀・尾張 江戸初期 業物 拵え付き
保存刀剣鑑定書付き
刃長:41.5(一尺三寸七分弱) 反り:0.8 元幅:3.21
先幅:2.62 元重ね:0.83 先重ね:0.61 穴2
脇差拵え(江戸後期 全長62センチ 鞘 黒の笛塗り 下げ緒黒 柄 親鮫に黒柄巻き 縁頭 赤銅研磨地容彫 鋤出彫 据え紋象嵌色絵 田舎家に梅の木図 目貫 素銅地容彫金色絵 鍔 素銅地肉彫透 金象嵌 龍図)付き。
【コメント】
初代信高は、河村左衛門と言い、永禄四年、美濃国上有地(こうずち)(現美濃市)に関七流三河弥兼国の子として生まれました。天正初め頃、尾張国清須関鍛冶町に移住、清須在住時の織田信長に仕え鍛刀し、以後歴代の清須城主に仕えました。天正九年、伯耆守を受領、慶長十五年、尾張藩初代藩主徳川義直に従って名古屋城下に移住、寛永十年、二代に家督を譲ると同時に入道して慶遊と号しました。寛永十三年、七十六歳没。
作風は、飛騨守氏房に近いものがありますが、中には古作大志津、江義弘を思わせる出来もあります。
信高の名跡は、幕末まで十代に渡りますが、初代の在銘正真作は、頻繁には出ません。
本作は、寸法一尺三寸七分弱、切っ先延びて、元先身幅の差がほとんどなく、重ねの厚い豪壮な慶長新刀脇差しです。
湾れ互の目乱れ主体の刃は、刃縁荒沸良く付いて明るく締まり気味となっています。
地刃に細かな鍛えが僅かにありますが、地刃健全でズシッとした重量感があり、江戸期の良い外装も付属しています。
新刀尾張関鍛冶の棟梁、初代伯耆守信高典型作です。