脇差し 金道(初代伊賀守金道前期作)
(きんみち)
Wakizashi:Kinmichi
新刀・山城(美濃) 安土桃山期
特別保存刀剣鑑定書付き
寒山先生鞘書き有り
刃長:35.8(一尺一寸九分強) 反り:0.3 元幅:2.96 元重ね:0.63 穴2
【コメント】
伊賀守金道は、関兼道の長男で、実弟に来金道、丹波守吉道、越中守正俊がいます。天正の末から文禄初め頃、美濃から山城に移住したと伝わり、後に新刀期最大派閥三品一派の棟梁として活躍した名工です。
活躍期は、天正の末から元和頃まで、作風は、受領前の前期作は末関風、受領後の後期作は、志津風の作へと移行しています。
伊賀守金道家は、後に徳川家康の働き掛けにより、朝廷から『菊紋』、『日本鍛冶惣(宗)匠』の免状、『雷除(かみなりよけ)』の号を賜りました。
特に『日本鍛冶惣匠』の免状は、全国の鍛冶職に就く者全てが、金道家の配下であることを認めさせる特権と地位を与えた証です。『雷除』は、『雷除御守』など雷避けの守り神、守護神の意。実際、茎に『菊紋』と『日本鍛冶惣(宗)匠』と刻するのは二代以降で、『雷除』は五代からになります。
本作は、寸法一尺一寸九分強 身幅しっかりとして寸が延びた平身脇差し、典型的な慶長新刀姿を示しています。
『金道』二字銘の希少な銘振り、『金』の字に目釘穴が掛かって少し残念ですが、 鑑定書には、『初代伊賀守金道・年代天正頃』と但し書きがあり、伊賀守受領前、美濃在住時の同工前期作であることが分かります。
伊賀守金道系は、後代は比較的多いですが、初代は本誌でも過去に二振りしか掲載しておらず、二字銘前期作は初です。
所々強い柾肌が流れ、やや白け心のある地鉄、互の目丁子乱れ主体の刃は、小互の目、尖り風の刃を交えてやや腰開きに焼き、刃縁締まり、刃中金筋、砂流し掛かるなど、出来は一目瞭然の末関風です。
大きな欠点なく、同工の出自が明確に示された作風は、三品鍛冶コレクションとしても外せません。