刀 於南紀重国造之(初代)
(なんきにおいてしげくにこれをつくる)
Wakizashi:Sakaiuraju Mizuno Masanori
新刀・紀伊 江戸初期 最上作 良業物
特別保存刀剣鑑定書付き
薫山先生鞘書き有り
刃長:71.6(二尺三寸六分強) 反り:1.3 元幅:3.14
先幅:2.24 元重ね:0.75 先重ね:0.60 穴3(内1埋)
【コメント】
重国は、九郎三郎と称し、大和手掻派の末裔鍛冶であると伝わり、幕末まで続く文珠鍛冶の筆頭として活躍した名工で、同銘が幕末まで十一代に渡ります。慶長十五年頃、徳川家康の命により、大和より駿府へ移り、初代康継と共に鍛刀、元和五年には、駿河、遠江の領主であった徳川頼宣(家康の十男で紀州徳川家の藩祖)が、紀州和歌山へ移った際に、共に従って移住しました。
銘振りは、前期『駿府打ち』は、『和州手掻住重国於駿府造之』、『駿州住重国造之』、後期『紀州打ち』は、『於南紀重国造之』、『於紀州和歌山重国作』などと切ります。同工年紀作はほとんど見られないため、正確な作刀期間、生没年も定かではありませんが、活躍期は寛永頃までとされています。
作風は、江義弘に私淑したと思われる湾れに互の目交じりの乱れ刃、大和手掻包永風の直刃があり、総じて直刃調の作が多く見られます。
本作は寸法二尺三寸六分強、鎬高く、反りやや浅め、身幅、重ねしっかりとして重量感のある一振り、一番下が生ぶ穴で、三寸程磨り上がっており、本来は二尺七寸近くあったことが分かります。 年紀はありませんが、その銘振りから紀州へ移った元和五年以降の後期作、いわゆる『紀州打ち』であることが分かります。
出来は、大和手掻包永写しの典型、新刀とは思い難い古調で味わい深い地刃は、無銘であれば、古作に紛れてしまうような雰囲気もあります。
地刃も健全で、樋がありますが、刀身にしっかりとした重量感があり、これで生ぶなら大変なことです。地刃良く冴えた魅力的な南紀重国です。