脇差し 伯耆守平朝臣正幸
(ほうきのかみたいらのあそんまさゆき)
寛政九年巳二月(一七九七) 真錬造之
Wakizashi:Houkinokami Tairano Ason Masayuki
新々刀・薩摩 江戸後期
特別保存刀剣鑑定書及び甲種特別貴重刀剣認定書付き
刃長:57.8(一尺九寸一分弱) 反り:1.4 元幅:3.22
先幅:2.25 元重ね:0.78 先重ね:0.62 穴1
【コメント】
正幸は、享保十八年、二代正良の子として生まれ、父の跡を継いで三代正良を襲名、寛政元年に『伯耆守』を受領した際に、正良銘を嫡子へ譲り、正幸と改めました。
年紀作に見る活躍期は、明和初年から文化末年頃まで、文政元年に八十六歳で没。奥元平と共に新々刀薩摩鍛冶の双璧を成す名工です。
同工の作は、切っ先延び心で、身幅重ねのガシッとした頑丈な造り込みのものが多く、作風は、美濃相州伝とも言うべき、志津風の烈しい出来を得意としています。
本作は、寛政九年、同工六十五歳の頃の作、寸法一尺九寸一分弱、切っ先鋭角に力強く延び、身幅重ねのガッシリとした雄壮な大脇差しです。
地沸が微塵に厚く付いた地鉄は、所々波状の柾肌が強く流れて湯走り掛かり、焼き刃は、刃縁に黒光りする大粒の荒沸付いて匂い深く、一部沸裂け、沸崩れ状となり、刃中金線、砂流しが掛かっています。
地に少し緩みがありますが、銘を見ずとも薩摩新々刀と分かる典型作、且つ覇気溢れる出来映えです。
茎裏『真錬造之』の切付銘は、長曽祢虎徹の『真鍛作之』などと同様、その鍛錬法を示したものと考えられます。おそらくは、何か特別な鋼材を使用して鍛錬した自信作、入念作の意ではないでしょうか。
これぞ伯耆守正幸とも言うべき同工円熟期の逸品です。