刀 水心子正秀
(すいしんしまさひで)
寛政元年八月日(一七八九)
Katana:Suishinshi Masahide
新々刀・武蔵 江戸後期 最上作
拵え付き(甲種特別貴重小道具認定書付き)
特別保存刀剣鑑定書付き
『新々刀大鑑』所載品
刃長:71.8(二尺三寸七分弱) 反り:1.5 元幅:3.24
先幅:2.19 元重ね:0.74 先重ね:0.54 穴1
上打ち刀拵え(江戸後期 全長102.5 柄長23.2 鞘 黒の呂鞘、同色荒波図 こじり、桑型、赤銅地荒波模様彫、金点象嵌 下げ緒、萌黄色 柄 赤銅鋤出彫、点象嵌、荒波図 大目貫、銀地容彫金色絵、這い龍図 鍔 赤銅木瓜形、金覆輪、高彫金色絵、荒波に龍図 金着せ切羽)付き。
【コメント】
正秀は、川部儀八郎と言い、寛延三年生まれ、出羽国山形の出身で、始め『宅英』と銘じました。後に『英国』、安永三年には、山形藩主秋元家に抱えられて、『正秀』と改銘し、『水心子』と号しました。文政元年、二代白熊入道に名跡を譲り、『天秀』と改銘、文政八年、七十六歳で没。
正秀は、大慶直胤、細川正義、角元興等々、二百近くに及ぶ門弟を輩出し、また理論と実技の両面に卓越していた同工の著書によって、他の刀匠の鍛刀技術革新にも大いに貢献したことから、『新々刀の祖』と呼ばれ、大慶直胤、源清麿と共に『江戸三作』とも呼ばれる新々刀最高峰鍛冶です。
作は安永初め頃から文政頃まで、作風は、初期は、越前守助廣、井上真改風を狙った焼きの深い、華やかな作が多く、文化以降は、自らが『刀はすべからく鎌倉期へ回帰せよ。』と提唱した『復古造法論』の実践から、鑑賞的な華やかさではなく、実用を本位とした穏やかな直調の作風へと移行して行きました。
本作は、寛政元年(一七八九)、同工四十歳の頃に当たる貴重な前期作の佳品です。
寸法二尺三寸七分弱、均整の取れた勇壮な造り込み、直湾れ調の刃文は、刃縁小沸良く付いて匂い深くやや沈み勝ちとなり、刃中小足、葉が入っています。
少し地に緩みもありますが、如何にも良く斬れそうな刃縁の雰囲気は、後の『復古造法論』を実践した作域を思わせます。
また天明~寛政初年頃の作は余り見受けないので、刀剣コレクションとしても貴重、『新々刀大鑑』にもこの頃代表作として所載されています。付属の外装も、江戸期の大変立派な作です。