刀 (本阿弥光忠による金象嵌銘)来国俊
(らいくにとし)
Katana:Rai Kunitoshi
古刀・山城 鎌倉末期 最上作
特別保存刀剣鑑定書付き
探山先生鞘書き有り
日向国延岡藩主内藤家伝来品
刃長:69.6(二尺三寸弱) 反り:2.1 元幅:2.67
先幅:1.53 元重ね:0.67 先重ね:0.47 穴1
【コメント】
来国俊は、国行の子として仁治二年(一二四一)に生まれ、同派中最初に『来』の字を冠した刀工で、以後皆がこれに倣いました。
銘に『来』を冠しない二字国俊時代の作を合わせると、国宝五口、重要文化財十八口、重要美術品三十七口を数えますが、これは勿論同派中最多であり、名実共に同派の最高峰と言えるでしょう。
本作は、大磨り上げ無銘ながら、茎表に金象嵌銘で『来国俊』と極められた一振り、通常裏にも金象嵌で『本阿(花押)』と入れるはずですが、表に刀工銘のみ入れています。十二代光常には、この手の金象嵌がありますが、光忠では珍しいかと思います。しかしながら、探山先生の鞘書きにもあるように、この書体は、紛れもなく十三代本阿弥光忠のものです。
光忠は、本阿弥本家十三代当主、折紙は元禄九年~享保十年まで残されており、同年九月没。その光忠が晩年の享保四年、八代将軍吉宗の命により編纂したのが、かの有名な『享保名物帳』です。その光忠が茎に金象嵌で極めを入れるわけですから、折紙よりも更に権威があります。古来より有識者の間では、『十三代光忠までの金象嵌銘は、在銘と同等である。』との見解もあります。本作の象嵌は剥落もなく、ピシッと整っています。
寸法二尺二寸九分、輪反り風のしなやかで美しい姿、温和な直刃調の出来は、如何にも来国俊らしい典型的な作風です。
研ぎ等の関係もあるでしょうが、上半の刃がやや沈んで眠い感じ、時代相応の研ぎ減り、鍛え肌も少しあるものの、腰元には本来の明るく冴えて締まった刃が見られ、帽子も綺麗な小丸返りでピシッとしています。光忠が極めを入れた三百五十年程前ですので、その頃はかなり健全だったことでしょう。
探山先生鞘書きには、『本刀は、姿態優美で地刃枯淡、格調すこぶる高く、極めは正に妥当、日州延岡藩主内藤家の旧蔵品也。』とあります。
本阿弥光忠が太鼓判を押した来国俊の典型作、日向国延岡藩主内藤家伝来品です。