刀(長州打ち) 長州於萩藤田真龍子永弘作
(ちょうしゅうはぎにおいてふじたしんりゅうしながひろさく)
文久二年壬戌十二月(一八六二)
Katana:Choshu Hagi Fujita Shinryushi Nagahiro
新々刀・長門 江戸最末期
特別保存刀剣鑑定書付き

刃長:73.6(二尺四寸三分弱) 反り:2.4 元幅:3.39 先幅:2.34 元重ね:0.73 先重ね:0.52 穴2(内1忍)


【コメント】
永弘は、文化十三年(一八一六)、讃岐の生まれで、藤田謙吾、徳治郎と称しました。後に備前長船の地で加賀介祐永門人となって備前伝を学び、『真龍子』と号しました。幕末の倒幕運動、明治維新の中心であった長州毛利藩の藩工としても活躍、文久三年(一八六三)四月、同藩庁が長州萩から防州山口に移ると、それに従って移住しました。
長州萩時代の天保十二~十四年(一八四一~四三)頃には源清麿、文久年間(一八六一~六四)には土佐藩工左行秀との交流があったと伝わります。明治十二年、六十四歳没。
作風は、互の目乱れ、丁子乱れを主体とした刃文を得意とし、匂い出来のものと小沸出来のものがあります。彫りも大変上手で、濃密な龍、不動明王、梅樹などを見ます。また鉄砲鍛冶としても活躍した大変器用な刀工です。
銘振りは、前期の『長州打ち』では『長門国住人藤田真龍子源永弘』、『長門国萩住人藤田徳治郎永弘』、『長州於萩藤田真龍子永弘作』、『長州萩住謙吾永弘』、後期の『防州打ち』では『周防国住人永弘』、『周防国住藤田謙吾藤原永弘』などと切ります。
本作は、文久二年、銘振りからも分かるように『長州打ち』、同工四十七歳の頃の作で、寸法二尺四寸三分弱、反り深めの勇壮なスタイルです。
互の目乱れ主体で、小互の目、角張った刃を交えた刃は、表裏腰元に意図的に富士山を焼いています。 ハバキには、八角に北斗七星紋の陰刻、この紋は、北辰一刀流兵法のシンボルマークとしても有名です。
北辰一刀流兵法とは、江戸後期、最強の剣豪とも呼ばれた千葉周作を流祖とする剣術で、同派最高位の技は、『星王剣』と呼ばれます。恐らくは、その達人の差し料であったかもしれない一振り、この度、特別保存鑑定が付いたばかりの激生ぶ品です。





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