脇差し 真雄造(山浦)
(さねおつくる)
文久二年(一八六二) 応柳泉恩田君需


Wakizashi:Saneo



新々刀・信濃 江戸最末期
特別保存刀剣鑑定書付き
信濃国松代藩主真田家家老所持品
『刀工山浦真雄 清麿 兼虎伝』所載品




刃長:39.7(一尺三寸一分) 反り:0.6 元幅:2.88 元重ね:0.66 穴1



菖蒲造り、三つ棟低め。 鍛え、小板目に板目交じりで、総体的に流れて上品に肌立ち、地沸厚く付き、地景繁く入り、地鉄良好。 刃文、互の目乱れ主体で、箱掛かった刃、小互の目、湾れを交え、刃縁荒沸付いて匂い深く明るく冴え、刃中互の目足入り、金筋、砂流し烈しく掛かる。 帽子、乱れ込んで沸付き、先尖り風に掃き掛け返る。 茎生ぶ、先栗尻、鑢大筋違い。 銅に金着せハバキ。 時代研磨。 白鞘入り。



【コメント】
山浦真雄は、文化元年(一八〇四)、現在の長野県小諸市生まれ、本名は昇、幼名を駒次郎、完利(ひろとし)とも称しています。その九年後の文化十年(一八一三)に生まれたのが、弟正行(清麿)です。十二歳の頃から、信濃国小諸藩士、諏訪清兼に剣術を学び、己に見合う最強の一振りを求めて二百余振り試したものの見付からず、自らそれを鍛えるために、刀匠の道を志したと云います。文政十一年(一八二八)、弟正行と共に、信濃国上田藩工の河村寿隆に入門、嘉永六年から松代藩真田家の藩工になりました。
年紀作に見る活躍期は、文政十三年(一八三〇)から明治七年(一八七四)まで、同年、七十一歳にて没。
作風は、最初期は因州浜部一門であった師に倣い、刃縁の締まった重花丁子風の刃文を焼きましたが、それ以後は、清麿同様に相州伝の烈しい互の目乱れが主体となります。
銘振りは、最初『天然子完利』、天保二年から弘化末年頃までは『寿昌』、『天然子寿昌』、『信濃国寿昌』、嘉永元年から『源正雄』、『山浦昇源正雄』、嘉永四年から、『山浦真雄』、『信州住真雄』、『信濃国真雄』、文久三年頃から、『遊射軒真雄』、『遊雲斎真雄』などと、号を添えた銘も見られるようになり、晩年明治元年九月からは、『寿長』と銘じています。
本作は、真雄銘の脇差し、文久二年作、同工五十九歳の頃に当たります。
寸法一尺三寸一分、菖蒲造りの勇壮なスタイルは、清麿一門が得意とする造り込みです。
茎に『応柳泉恩田君需』と依頼主の名がありますが、これは恩田頼母(たのも)(民矩)(たみのり)のこと。頼母は、信濃国松代藩主真田家家老で、九代藩主真田幸教に仕えた人物で、柳泉(りゅうせん)は雅号(ペンネーム的な別名)、君は君主など目上の人に対する敬称のこと。依頼主を表銘に切った銘振りからしても、真雄が依頼主に敬意を払っていることが窺えます。
本作は、『刀工山浦真雄 清麿 兼虎伝』所載品で、同書によると、文久二年七月十二日、頼母は、真雄に対して、この脇差しを含めて四振りの注文をしており、その注文書の覚書も掲載されています。頼母はこの年に亡くなっているので、大変貴重な注文打ち現存作となります。
互の目乱れ主体で、箱掛かった刃、小互の目、湾れを交えた刃は、刃縁荒沸付いて匂い深く明るく冴え、刃中互の目足入り、金筋、砂流し烈しく掛かるなど、一見して清麿一門の作と分かる、覇気溢れる作域が存分に示されています。
信州真田家と山浦家の深い繋がりを裏付ける、歴史的資料価値の高い逸品、山浦一門コレクションとして、絶対に欠かせない一振りになるでしょう。












【売約済】商品番号:Q-107 脇差し 真雄造(山浦) 文久二年(一八六二) 応柳泉恩田君需 江戸最末期 特別保存刀剣鑑定書付き 信濃国松代藩主真田家家老所持品 『刀工山浦真雄 清麿 兼虎伝』所載品

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