短刀 三笠砲鋼秀明(堀井秀明)
(みかさほうこうひであき)
昭和六辛未正月(一九三一) 金沢所持
Tanto:Mikasahoukou Hideaki
現代・北海道 専用木箱付き
保存刀剣鑑定書付き

刃長:22.9(七寸六分弱) 反り:僅かに内反り 元幅:2.08 元重ね:0.59 穴1
【コメント】
堀井秀明は、徳田兼吉と言い、明治十九年、滋賀県滋賀郡下阪本(しもさかもと)村に生まれ、明治三十七年、堀井胤明門人となり、上京して東京高輪の鍛刀所で学び、『兼明』と銘じました。明治四十四年には胤明の娘婿となり、堀井家の三代目を継ぎ、大正二年に『秀明』と改銘しました。大正七年、『日本製鋼所室蘭工業所』へ入社、義父胤明と共に北海道へ渡りました。昭和八年十二月、皇太子ご生誕により、『明仁親王』と命名されると、『明』の字を用いることをはばかって、翌九年一月から『俊秀』と改めました。昭和十八年十月、五十八歳で没。
月山貞勝、笠間一貫斎繁継、堀井秀明、森岡正吉の四名しかいない、名誉ある『元帥刀』作者としても有名な秀明ですが、その知名度を一躍全国区にしたのは、『三笠刀』に他なりません。日本水交社の依頼によって、昭和三年一月~同七年五月までの間、ロシアのバルチック艦隊を撃滅した戦艦三笠の砲身残鉄を使用して作られました。堀井一門が製作したのは、三笠長剣が二二九本、甲種三笠短剣(皇国興廃在此一戦の彫り有り)が九七三本、乙種三笠短剣が四五一本です。
銘は『三笠』、『三笠砲鋼』、『以三笠砲鋼』、『以軍艦三笠砲鋼』、『以三笠艦砲身作之』、『加三笠砲鋼』、『加和鋼以三笠砲材』、『加軍艦三笠砲鋼精鍛之』、『秀明』、『源秀明』、『室蘭住秀明作』等々多種に渡り、銘振りからも分かるように、砲身残鉄のみの場合、それに和鋼を加えて鍛えたものもあります。
また、製作が一段落してからも、特に三笠短剣の人気が高かったため、日本水交社は、更に追加製作を日本製鋼所に依頼、昭和六年七月、追加製作が決定したものの、これに難色を示した秀明が、『数打ちは甚だ迷惑、至極御免被りたし。』との書状を日本製鋼所本社に送っています。その為、秀明の名を借りる形で、日本製鋼所製として、弟子らが追加注文に応えました。
本作は、年紀、『皇国興廃在此一戦』の彫りからも分かるように、正規注文品による貴重な『甲種三笠短剣』、後年追加製作された量産品ではなく、紛れもない初期注文品で鑑定書まで付いたものは中々出ません。
茎に『金沢所持』とありますが、戦艦三笠、東郷平八郎関連で言えば、海軍中将 金沢正夫ということになります。金沢は、東郷平八郎を祀った東郷神社の役員、東郷会副会長なども務めた人物です。
これは価値があります。研ぎは古いですが、大きな疵なく状態は良好です。
鑑定書(十一月下旬予定)も間もなくです。
これを逃すと次はお約束出来ません。今月の目玉商品です。



お買いものガイド























