刀 来国俊(無銘)
(らいくにとし)
Katana:Rai Kunitoshi
古刀・山城 鎌倉末期
最上作 拵え付き
第六十三回重要刀剣指定品

刃長:67.3(二尺二寸二分強) 反り:1.4 元幅:2.75
先幅:2.00 元重ね:0.74 先重ね:0.54 穴3

打刀拵え(幕末期 全長100 鞘 青貝梨地に茶のひび割れ模様塗り鞘 こじり、赤銅地鍬形金象嵌唐草図 笄、赤銅魚子金据え紋象嵌龍図 下げ緒、茄子紺、卯の花、深緑の亀甲 柄 親鮫に黒柄巻き 縁頭、銘大森秀知花押、赤銅高彫金象嵌、点象嵌、荒波に龍図 目貫、赤銅容彫金象嵌獅子図 鍔 赤銅魚子地片櫃金埋、耳に据紋金象嵌龍図 銅に金着せ切羽)付き。

【コメント】
来国俊の重要刀剣、同工の典型的な作風を存分に示した優品、格調高き姿、地刃の出来、これぞ正に鎌倉末葉に於ける来物の王道です。
来国俊は国行の子、来派に於いて、最初に『来』の字を冠した刀工で、以後皆がこれに倣いました。徳川美術館所蔵の重要文化財太刀に、『来国俊 正和二二年十月廿三日□□歳七十五』の銘が残されていることから、仁治元年(一二四〇年)生まれであることが分かっています。
古来より来国俊は、銘に『来』を冠しない『二字国俊』との関係に付いて、同人説と別人説が論じられてきましたが、近年の重要図譜でも『両者の製作年紀を合わせると、弘安元年(一二七八年)から元亨元年(一三二一年)までの約四十年、一人の刀工による作刀期間と考えても決して無理な年数ではない。』としており、 現在は二字国俊を前期、来国俊を後期とする同人説が有力となっています。これは鎌倉期には初代、二代と言うように銘の世襲というしきたりが考え難い時代であったこと、長船長光、兼光などもそうであったように、時代の求めに応じて、姿、作風が変遷して行くのは、何ら不思議なことではないと考えられるためです。
二字国俊時代の作に国宝はなく、来国俊時代に五口、両時代を合わせると、重要文化財十三口、重要美術品三十四口の指定品があります。この指定数は、勿論同派にあって最多であり、名実共に同派の最高峰と言えます。
作風としては、二字国俊が国行を思わせる身幅タップリとして、猪首切っ先の豪壮な姿に、丁子の目立つ華やかな乱れを焼き、来国俊は小切っ先で細身か中切っ先で尋常な姿に、直刃、直刃調に小模様
の乱れを交えた温和な出来が多く見られます。
本作は大磨り上げ無銘ながら『来国俊』と極められた優品、寸法二尺二寸二分強、元先身幅の差が余り目立たず、重ねもしっかりとして、反りやや浅めながら綺麗な輪反り風の姿を示しており、手にした際の重量感から、如何に地刃が健全であるかが分かります。同工にとっては晩年に当たる、鎌倉末期元応、元亨頃の作と鑑せられます。
小板目肌が良く詰んだ鍛えは、鉄色明るく、地沸を厚く付けて上品に肌立ち、細やかな地景が良く働き、沸映りが判然現れるなど、素晴らしい来地鉄を示しており、細直刃湾れ調の穏やかな焼き刃は、刃縁匂い深く細美な小沸を均等に配し、刃中小足、葉が繁く入り、柔らかな金筋掛かり、匂い口も明るく冴えています。
古くから刀剣識者の間で論じられる、来国俊、国光父子の比較論に、『国俊は格調に於いて国光に勝り、国光は覇気に於いて国俊に勝る。』という言葉がありますが、本作も正に格調高き刀姿、地刃の出来を示した来国俊の会心作と言えるでしょう。 付属する幕末外装は、青貝梨子地に茶の亀甲風ひび割れ模様の変わり塗り鞘、 金具類は赤銅金具を使用、鐔は赤銅魚子地で耳に据え紋金象嵌龍図、縁頭は在銘など立派な拵えです。
来国俊による巧みな鉄鍛えを示した美しい鎌倉太刀、王道の来地鉄、来直刃を存分にお楽しみ下さい。







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