刀 和泉守藤原国貞
(いずみのかみふじわらのくにさだ)
Katana:Izuminokami Fujiwarano Kunisada
新刀・摂津 江戸初期 大業物
拵え付き(目貫に特別保存、鐔に保存刀装具鑑定書付き)
第六十二回重要刀剣指定品
刃長:71.7(二尺三寸七分弱) 反り:1.4 元幅:3.25
先幅:2.21 元重ね:0.72 先重ね:0.51 穴1
上打ち刀拵え(現代作 全長108 柄長27.5 鞘 黒の鮫研ぎ出し鞘 下げ緒裏革松葉色 柄 鮫に黒塗り、裏革松葉色柄巻き こじり、栗型、縁頭、同作江戸肥後 鉄地金象嵌縁網目に桐模様図の一作 目貫 獅子虎豹の図 無銘古金工 金無垢地容彫 特別保存刀装具鑑定書付 鍔 網桜透図 無銘肥後 鉄研磨地堅丸形地透 毛彫 金象嵌 保存刀装具鑑定書付)付き。
【コメント】
親国こと和泉守国貞の重要刀剣、『大坂新刀の祖』、井上真改の父としても名高い名工の傑作、素晴らしい新刀重要です。
国貞は、天正十七年、井上良光の子として日向国に生まれ、十八歳の頃には上洛して、同郷飫肥(おび)藩出身の堀川国廣門下に入りましたが、国広は当時既に高齢であったため、直接的には同門兄弟子に当たる越後守国儔に学んだと考えられています。慶長十九年に国廣が没すると、同門の初代河内守国助と共に大坂へ移住し、元和九年、『和泉守』を受領、晩年には入道して、道和と称したとも伝えています。慶安五年、六十三歳没。
『大坂新刀の祖』であり、井上真改の父であることから『親国貞』とも呼ばれます。
作風は、直調の焼き出しから、互の目に丁子風の刃を交えて総じて焼きが高いなど、同門の初代国助と似ており、物打ち辺りには飛び焼き、棟焼き、帽子は直調で焼き深く、先小丸に長く返るものが多く見られます。
銘振りは、受領前は、『摂州住藤原国貞』、受領後は、『和泉守藤原国貞』銘が多く、年紀作は僅少ですが、その銘振りによって大凡の年代が分かります。
年紀の上限は、『元和七年八月』、下限は、『寛永二十一年二月』、体調を崩して隠居した正保以降、慶安五年に没するまでの約八年間は、門人の下総守国義、山上播磨守国隆、子真改などの代作代銘になります。
本作は昭和四十六年、第二十回の重要刀剣指定品、寸法二尺三寸七分弱、身幅、重ねしっかりして、何とも雄壮な一振りです。
年紀はありませんが、探山先生鞘書きにもあるように、その銘振りからして寛永十年前後、同工四十代半ばの作で、壮年の最良期に当たります。
小板目肌良く詰み、所々上品な肌立ちを見せる綺麗な大坂新刀地鉄は、地色明るく、細やかな地景を繁く交えており、直刃調で浅く湾れを交えた焼き刃は、刃縁の沸匂い一際深く明るく冴え渡り、刃中小互の目、小丁子足、葉が繁く入り、地に飛び焼きを交えています。帽子も直調で焼き深く、先小丸風に長く返って鎬地、棟に焼き入るなど、随所に親国らしい手癖が顕現されています。
鞘書きにも『刃縁の沸匂い深く厚く、沸足入る重厚なる趣の刃文を焼き、泰然自若の感があり、出来宜しく加えて地刃健やか也。』とあります。
付属のオリジナル肥後外装は大変立派な作、金無垢目貫は古金工の獅子虎豹図で特別保存鑑定付き、鍔は肥後の網桜透図で保存鑑定が付いています。ピシッと作ってありますので、大変気持ちの良い作、外装だけでもかなりの費用が掛かっています。
昭和二十六年三月の古い登録証は、同工地元の宮崎県登録『九三一』号、ハバキも金無垢の二重で重厚感たっぷりです。
古くから地元に伝わる国貞の傑作、やはり新刀重要はレベルが違います。素晴らしい親国、これは名刀です。