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脇差し 備州長船兼光
(びしゅうおさふねかねみつ)
文和二年十二月日(一三五三)
Wakizashi:Bishu Osafune Kanemitsu
古刀・備前 南北朝中期
最上作 最上大業物 拵え付き
第三十五回重要刀剣指定品
薫山先生鞘書き有り

刃長:34.1(一尺一寸三分弱) 反り:0.3 元幅:3.03 元重ね:0.52 穴2

上脇差拵え(江戸末期 全長60 鞘 刻みに黒呂塗鞘 小柄笄、赤銅魚子地据紋象嵌色絵 沢瀉の図 下げ緒、黒 柄 親鮫に黒柄巻 縁頭、銘:喜多村家次 赤銅研磨地、平金象嵌、蔓花の図 目貫、赤銅容彫色絵、沢瀉の図 鍔 赤銅魚子地四分一据紋象嵌、金覆輪、五三の桐散図 素銅に金着せ切羽)付き。

【コメント】
長船兼光の重要刀剣、生ぶ在銘年紀入り、古刀最上作にして最上大業物、南北朝中期の勇壮なスタイル、備前長船筆頭鍛冶の典型作です。
兼光は景光の嫡男で孫左衛門と称し、長船正系四代目として備前伝の伝統を継承しつつ、『正宗十哲』にもその名が挙がるように、相州伝を巧みに取り入れた作風、いわゆる相伝備前鍛冶の祖として、長船長義と双璧を成す名工で、重要文化財十二口、重要美術品十六口を数え、名だたる長船鍛冶の中にあって、名実共に最高峰鍛冶です。
年紀作に見る作刀期間は、鎌倉末期の元亨(一三二一~二四)から南北朝中期の貞治(一三六二~六八)頃まで、その中でも延文(一三五六~六一)年間が同工の晩年円熟期であり、傑作も多いことから『延文兼光』とも呼称されます。
その作風は、鎌倉末期から南北朝前期の康永(一三四二~四五)頃までは、太刀、短刀共に姿尋常で、刃文は直刃調に互の目、角互の目、片落ち互の目を主体に焼き、総体的に刃が逆掛かるなど、父景光の技を踏襲した出来が多く見られます。それ以降、貞和(一三四五~五〇)、観応(一三五〇~五二)辺りからは太刀、短刀共に姿も大柄となり、それまで見られなかった湾れ主調の刃文も見られるようになります。
このように兼光は南北朝期を境に変化を遂げた刀工であるため、古来より初二代説がありましたが、現在は一代長寿説が定説になっています。これは祖父長光や山城の来国俊などが、前期と後期で華やかな乱れ主調の出来から、直刃調の穏やかな作風へ変化していったように、作者が長寿で作刀期間が長きに渡る場合、戦闘様式や流行など、その時代の求めに応じて、作風、姿が変化することは何ら不思議なことではないと考えられているからです。
また古来より最上大業物として、その斬れ味に於いても定評があり、『波遊ぎ』『水神斬り』『鉄砲斬り』『雷斬り』『兜割り』等々、斬れ味に因んだ号が付された作も多々あります。
本作は長船兼光の生ぶ在銘年紀入りの貴重な現存作、平成元年(一九八九)、第三十五回の重要刀剣指定品です。
寸法一尺一寸三分弱、三つ棟高く、身幅広く重ね薄め、僅かに先反り付いた勇壮な姿は、いわゆる『延文貞治型』呼ばれる、南北朝中期の典型的なスタイルを示しています。
板目に杢目を交え、所々流れ心に肌立つ地鉄は、地景良く入り、直調及び地斑風の映り立ち、小互の目乱れを主体に、湾れ、角張った刃、尖り風の刃を交えた焼き刃は、刃縁良く沸付いてやや沈み勝ちとなり、刃中小足、葉入り、金筋、砂流し頻りに掛かっています。帽子も乱れ込んで先尖り風に僅かに掃き掛け返るなど、同工晩年に近い円熟期の典型作と言えるでしょう。
図譜には、『この脇差しは、南北朝期の典型的な姿に、角掛かった互の目乱れを焼き、刃中の沸が特に強く、同工の特色が良く示され、地刃の出来が良い。』とあります。
同工の生ぶ在銘年紀入りの重要刀剣は本誌初掲載、江戸期の大変立派な外装は、在銘の縁頭など、大変質の高い赤銅地金具を使用しており、小柄笄もピシッと入っています。
備前長船コレクションには是非とも加えて頂きたい逸品、延文兼光の相伝備前典型作です。






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