刀 無銘(伝来国行)
(でんらいくにゆき)
Katana:Mumei(Den Rai Kuniyuki)
古刀・山城 鎌倉中期 最上作
第二十八回重要刀剣指定品
薫山先生及び探山先生鞘書き有り
『鑑刀日々抄』所載品
刃長:71.4(二尺三寸六分弱) 反り:1.2 元幅:3.07
先幅:2.14 元重ね:0.66 先重ね:0.41 穴2
【コメント】
無銘(伝来国行)の重要刀剣、猪首切っ先で幅広な鎌倉中期の堂々たる太刀姿に、京丁子を主体とした高低のある乱れ刃を焼いた名品、『鑑刀日々抄』所載品です。
山城国では、鎌倉初期より鎌倉後期に掛けて、粟田口派が栄えましたが、鎌倉中期頃より、それに入れ替わる形で登場したのが来派であり、以降南北朝期に掛けて大いに活躍しました。
古伝書等では、その開祖として国吉の名を挙げていますが、在銘正真確実な現存作が皆無であるため、国吉の子と伝わる太郎国行を事実上の祖とするのが、現在の通説となっています。
本作は昭和五十六年、第二十八回の重要刀剣指定品、無銘ながら『伝来国行』と極められた華やかな一振りです。
国行は同派の棟梁であり、国宝一口、重要文化財十五口、重要美術品十一口を数える名工、年紀作はありませんが、古伝書等ではその活躍期を鎌倉中期の正元(一二五九~六〇)、文応(一二六〇~六一)頃としています。子の国俊の上限年紀が弘安元年(一二七八)なので、年代的に合致するかと思います。
国行の銘には『来』を冠したものはなく、常に二字銘で、姿は、身幅尋常かやや広め、元先身幅の差が少ない太刀姿が大半で、反りは、輪反りを基本としています。帽子は、中切っ先か小切っ先で、詰まって猪首風となるのが大半、地鉄は、小板目詰んだものに加えて、板目が大模様に現れる場合もあり、肌立ち気味で、地沸厚く付いて、沸映りが立ちます。端正な直刃はまずなく、焼き幅広めの直湾れ調で、小丁子、小互の目、角張る刃、小乱れを交えます。初期には、丁子が密に詰まった華やかな作も見られます。
寸法二尺三寸六分弱、切っ先猪首風に詰まった幅広のスタイルは、鎌倉中期の典型的な太刀姿を示しています。
小板目良く詰んだ精良な地鉄は、地色明るく、所々上品に肌立ち、細かな地景入り、丁子、小互の目、小丁子、角張る刃、雁股風の刃を交えた刃文は、焼きの間隔詰まり、刃縁に細かな飛び焼きが点在し、刃中小足、葉頻りに入っています。
地に少し鍛え肌、刃の曇ったような箇所もありますが、研ぎでかなり良くなるでしょう。
図譜には、『特に丁子乱れが強調された作で地刃が健全である。』、探山先生鞘書きには、『古様さと雅やかさが一体となった、同工ならでは妙趣を示す優品也。部分的に乱れの調子が、綾小路定利を思わせる箇所があることから、同工初期作と鑑せられる。』とあります。
古い登録証は、昭和二十六年三月の滋賀県登録『三〇五』号、名門来一派の事実上の祖、来国行の最も華やかな部類に入る初期会心作、薫山先生の『鑑刀日々抄』所載品です。