脇差し 津田越前守助廣
(つだえちぜんのかみすけひろ)
Wakizashi:Tsuda Echizennokami Sukehiro
新刀・摂津 江戸前期 最上作 大業物
特別保存刀剣鑑定書付き
刃長:53.1(一尺七寸五分強) 反り:1.0 元幅:3.20 先幅:2.29 元重ね:0.80 先重ね:0.55 穴2
鎬造り、鎬高め庵棟尋常、中切っ先。 鍛え、小板目肌やや沈み勝ちに良く詰み、地沸微塵に良く付き、細かな地景繁く入り、地鉄精良。 刃文、互の目乱れを主体に濤瀾風乱れ、小互の目、箱掛かった刃を交え、刃縁良く沸付いて匂い一際深く明るく冴え、刃中互の目足入り、金筋、砂流し掛かる。 帽子、直調で沸付き、先小丸に返る。 茎生ぶ、先入山形、鑢化粧大筋違い(香包鑢)。 銀二重ハバキ(被せ部分は金着せ)。 時代研磨(小サビ有り)。 白鞘入り。
【コメント】
二代助廣は、井上真改と双璧を成す、大坂新刀鍛冶の最高峰で、同工が創始した濤瀾刃は、華やかな乱れ刃の代名詞にもなっています。
作刀期間は、承応二年から天和二年までの三十年余り、銘の変遷としては、最初は基本『越前守助廣』銘ですが、寛文七年二月から延宝二年二月までの七年間は、津田を冠した『津田越前守助廣』銘、いわゆる『角津田』銘となり、それ以降天和二年正月までの八年間は、表裏草書風の『丸津田』銘となります。同年三月、四十六歳で急逝。
作風は、初期は丁子に互の目交じり、小丁子乱れ、焼きの高い足長丁子など、全て初代風を継承、寛文三年に初代が没してからは、濤瀾風の刃が交じる互の目乱れの作風が主流となります。同工の代名詞でもある濤瀾刃が完成するのは、角津田銘の終わり頃、寛文末年頃になります。
本作は『角津田』銘の華やか乱れ刃を焼いた勇壮な一振り、年紀はありませんが、『角津田』銘ですので寛文七年二月以降、銘振りからして寛文八年前後、同工三十二歳の頃と鑑せられます。
寸法一尺七寸五分強、身幅、重ねガシッとして 如何にも肉付きが良く健全、脇差しながら手持ちズシッと重いです。
互の目乱れを主体に濤瀾風乱れ、小互の目、箱掛かった刃を交えた焼き刃は、刃縁の匂い一際深く、明るく冴え渡っています。
この頃の典型的な作域で、健全さも申し分ありませんので、これで寸法が二尺四寸もあれば、重要刀剣候補筆頭になるでしょう。
角津田銘越前守助廣の自信作です。