大脇差し 越州光行(無銘)
(えっしゅうみつゆき)
Ohwakizashi:Essyu Mitsuyuki
古刀・越前 南北朝末期
保存刀剣鑑定書付き
刃長:58.2(一尺九寸二分) 反り:1.1 元幅:2.75 先幅:1.8 元重ね:0.67 先重ね:0.39 穴3
しのぎづくり、しのぎ高く庵唐人上、中切っ先。 鍛え、小板目にいた目を交え、ところどころ流れて強く肌たち、地色やや黒味勝ち、地沸厚く付き、地景入り、飛び焼き、湯走り掛かり、地鉄概ね良好。 刃文、大互の目乱れ、互の目、小互の目、湾れ、箱掛かった刃を交え、刃縁荒沸付いて匂い深く、刃中所々沸裂け状となる。 帽子、湾れ込んで沸付き、先掃き掛け返る。 茎大磨り上げ、先切り、鑢切り。 木ハバキ。 時代研磨。 白鞘入り。
【コメント】
本作は、大磨り上げ無銘ながら、『越州光行』の極めが付された烈しい相州伝乱れ刃の大脇差しです。
光行は、越州国行門人、南北朝末期の越前鍛冶で、嘉慶(一三八七~八九)、明徳(一三九〇~九二)年紀の作が僅かに残されています。
師国行は、越前敦賀に住し、後に美濃へ移住した刀工、はっきりとした系統は不明、活躍期は南北朝中期、貞治(一三六二~六八)、応安(一三六八~七五)年紀の作が残されており、銘は『越州住国行』、『濃州住藤原国行』などと切ります。
同時期に金重、為継なども、越前から美濃へ移住しており、何らかの関係性があったと考えられます。
南北朝期に於ける、越前、美濃の相州伝鍛冶と言えば、志津、金重、為継辺りかと思いますが、国行一派もそれに含まれます。
本作は、焼きに高低のある烈しい相州伝乱れ刃、日刀保は、地刃の出来からして越州国行系、更にスタイルから南北朝末期と見て、国行ではなく弟子の光行に極めたものと思われます。
地刃に鍛え肌、炭籠もりが少しありますが、刃は健全、特別保存がピシッと付いた貴重な現存品です。