刀 源正雄(鈴木正雄)
(みなもとのまさお)
Katana:Minamotono Masao
新々刀・武蔵 江戸最末期(文久頃)(一八六一~六四)
特別保存刀剣鑑定書付き
探山先生鞘書き有り
刃長:70.9(二尺三寸四分) 反り:1.2 元幅:3.33
先幅:2.43 元重ね:0.76 先重ね:0.66 穴1
鎬造り、鎬高く庵棟低め、中切っ先やや延び心。 鍛え、板目肌良く詰み、所々流れ心に肌立ち、地沸厚く付き、地景良く入り、地鉄良好。 刃文、互の目乱れを主体とし、小互の目、箱掛かった刃を交え、刃縁沸匂い厚く付いてやや沈み勝ちとなり、刃中金筋、砂流し頻りに掛かる。 帽子、湾れ調で焼き深く沸付き、先掃き掛け返る。 茎生ぶ、先栗尻、鑢筋違い。 銅に金着せハバキ。 時代研磨。 白鞘入り。
【コメント】
源正雄は、鈴木次郎と言い、美濃国出身、正雄と銘していることからも分かるように、源清麿の正行時代からの弟子で、清麿門の最古参でもあります。嘉永六年頃には独立し、江戸下谷御徒町に住しています。安政五年から万治元年までの三年間は、幕府の北辺防備の命により、北海道函館にて鍛刀しました。
作風は、師風を良く継いだ互の目乱れを得意とし、中には師に勝るとも劣らない作もあります。また総じて互の目の腰が低めである所に特色があります。※『腰』とは、刃文の焼き頭から焼きの谷へ向かう傾斜のことで、この角度が浅い場合を『腰が低い』などと言います。
銘は、特徴のある流麗な草書体で、『源正雄』、『武州住源正雄』などと切ります。正確な没年は不明ですが、年紀作では慶応元年八月頃までの作が残されています。
生涯受領しておらず、また師の協力者としての時期が長いためか、自身作は余り多くありません。 本作は、寸法二尺三寸四分、元先身幅、重ねガシッとしてズシッと重く、地刃健全、大きな疵もない同工自信作です。
年紀はありませんが、探山先生鞘書きにもあるように、その銘振り等からして文久(一八六一~六四)頃の作と鑑せられます。
互の目乱れを主体とした覇気溢れる焼き刃は、刃縁良く沸付いて匂い深く明るく冴えており、特に刃中を貫いて黒光りする太い金筋は、清麿一門の大きな見所です。
探山先生鞘書きには、『時好(その時代の人々の好み、流行)の豪快なる形態を呈し、動勢ある互の目乱れを焼き、刃中砂流し掛かり、金筋が長く絡むなど、清麿に親炙(しんしゃ=その人に親しく接し、その影響を受けること。)したことを明示する作域を現し、出来出色、且つ健やか也。』とあります。
流石は鈴木正雄、刀に何とも言えない迫力があります。同工円熟期に於ける魅力的な一振りです。