脇差し 出羽大掾藤原国路
(でわだいじょうふじわらのくにみち)
Wakizashi:Dewadaijo Fujiwarano Kunimichi
新刀・山城 江戸初期 業物 拵え付き
特別保存刀剣鑑定書付き

刃長:38.2(一尺二寸六分) 反り:0.8 元幅:2.90 元重ね:0.58 穴1
平造り、庵棟低め。 鍛え、小板目に板目、流れ心の肌を交えて肌立ち、地沸厚く付き、地景入り、地鉄良好。 刃文、互の目乱れに丁子、小互の目、やや箱掛かった刃を交え、刃縁荒沸付いて良く冴え、刃中互の目足入り、金筋、砂流し頻りに掛かり、地に細かな飛び焼き有り。 帽子、湾れ込んで先やや尖り心に掃き掛け返る。 茎生ぶ、先栗尻、鑢大筋違い。 銅に金着せハバキ。 時代研磨。 白鞘入り。
脇差拵え(全長61 江戸後期 鞘 黒の呂鞘 赤銅石目地、据紋金象嵌、桐紋図下げ緒、薄茶と深緑 柄 親鮫に黒柄巻き 縁頭、赤銅研磨地高彫色絵、鷺の図 出し目貫、赤銅容彫金色絵、不明 鍔 赤銅研磨地、鋤下彫、毛彫、金色絵、蝙蝠図 金着せ切羽)付き。
【コメント】
国路は、天正四年生まれ、堀川国廣の高弟で、重要文化財二口、重要美術品五口を数える名工です。初銘を『国道』と言い、伊賀守金道、丹波守吉道などと同じ『道』の字を使用している点、晩年には当時三品系以外には使用することのない、『来』の字を冠し、『来国路』と銘している点などからして、三品鍛冶とも深い繋がりがあったとされ、特に越中守正俊とは、かなり近しい関係にあったことが分かっています。師が没した慶長十九年頃に『出羽大掾』を受領したと伝わり、それまでは『平安城住国路』などと切っています。
活躍期は、慶長中頃から寛文初年頃まで、年期作は僅少です。
国廣門下中、最も器用人であり、各伝法をこなしますが、三品鍛冶の影響か、特に美濃伝を得意とし、中でも志津風を狙った名品が多く残されており、稀に倶利伽羅、不動明王、昇り龍等々、巧みな彫り物もあります。
本作に年紀はありませんが、その銘振りから寛永頃、同工五十代の作と鑑せられます。
寸法一尺二寸六分の平脇差し、身幅の割に寸の延びた上品でしなやかなスタイルです。
堀川物特有のややざんぐりとした地鉄に、志津風の覇気溢れる刃を巧みに焼いています。
地に少し鍛え肌もありますが、刃が烈しく働いて大変魅力的な同工典型作です。


