刀 兼元作(初代)
(かねもとさく)
(切付銘)益清 明応二年五月吉日(一四九三)
Katana:Kanemoto
古刀・美濃 室町後期 業物 拵え付き
保存刀剣鑑定書付き
『刀剣美術(平成二十九年六月号)(二〇一七)』所載品

刃長:66.1(二尺一寸八分) 反り:1.7 元幅:2.85
先幅:1.75 元重ね:0.61 先重ね:0.40 穴2
鎬造り、鎬尋常庵棟低め、中切っ先。 鍛え、小板目に板目、杢目を交え、所々大模様となり、一部流れて肌立ち、地色やや黒み勝ち、白け心があり、地沸厚く付き、地景入り、地鉄良好。 刃文、直刃調で、腰元に僅かに小互の目を配し、刃縁小沸付いてやや沈み勝ちに締まり、一部匂い深く明るく潤み、細かなほつれ掛かり、刃中葉、小足、小互の目足入り、一部金筋、砂流し烈しく掛かる。 帽子、直調で先焼き詰める。 茎生ぶ、先浅い入山形、鑢鷹の羽。 銅に金鍍金ハバキ。 時代研磨。 白鞘入り。
打ち刀拵え(全長95 柄長21.5 江戸後期 鞘 黒の呂鞘 下げ緒黒 柄 鮫に黒蛇腹巻き 縁頭、赤銅魚子地高彫色絵、這龍図 目貫、赤銅容彫色絵、這龍図 鍔 鉄地丸形鋤出彫、銀の線象嵌、荒波に雲、雨龍図)付き。
【コメント】
初代兼元は、美濃関(現岐阜県関市)ではなく、美濃赤坂(現岐阜県大垣市赤坂町)の地で鍛刀した赤坂鍛冶の一人、明応(一四九二~一五〇一)頃を中心に活躍、二代孫六との世代交代時期は、永正(一五〇四~二一)頃、早くても文亀(一五〇一~〇四)頃と伝えています。
初代の作風は、先反り付いて、姿は身幅やや広めなもの、細身で優しいものがあり、地鉄は関物としては良く詰み、二代に比べてやや黒み勝ちとなります。
刃文は、二代以降に確立される三本杉はほとんど見られず、不規則な互の目乱れに尖り風の刃、小丁子風の刃を交え、刃縁に打ちのけ、沸崩れ、刃中に金筋、砂流し、ムラ沸付くものなど、一見古調な出来を示すものが多く見られます。
言うなれば、初代の作風には、赤坂千手院及び北陸藤島鍛冶の影響が見られるなど、後代のように完全に関鍛冶と同化した兼元とは一線を画しています。
銘振りは、『兼元(作)』、『濃州赤坂住兼元(作)』が大半で、二字銘が初期作と云われます。
本作は、大変貴重な初代兼元の在銘正真年紀入り作、『明応二年』の年紀が入っていますが、これまで初代の年紀の上限は、『明応六年』であったため、本作は更に時代が上がることになります。
寸法二尺一寸八分、先反りやや深めに付いた上品な姿の一振りです。
本刀は、『刀剣美術(平成二十九年六月号)(二〇一七)』の特集、『研究ノート 明応二年紀を有する初代兼元の作例について』の中で、正にその研究刀として掲載された一振り、その解説では、『作風及び銘振り、そして最上限の年紀が記された本作は、今後の初代兼元の研究の発展に寄与する新資料である。』とあります。
地景交じりの板目がうねりながら流れる地鉄は、所々無地風に詰んだ小板目を交えて、鎬寄りには直調の白け映りが立っています。
直刃調の焼き刃は、腰元に僅かに小互の目を配し、刃縁やや沈み勝ちに締まり、一部匂い深く明るく潤み、細かなほつれ掛かり、刃中葉、小足、小互の目足入り、一部金筋、砂流しが烈しく掛かっています。帽子は、直調で、刃中太い金筋掛かり、先は焼き詰めとなっています。
いわゆる兼元をイメージするような出来ではなく、地刃に古色の感があり、何とも味わい深い出来を示しています。
茎表にある『益清』の切り付け銘に付いては、同誌にも『現状では明確ではなく、注文主銘である可能性もあり、今後の研究課題である。』としており、探山先生鞘書きには、『益清は、注文者か将又(はたまた)合作者かは未詳。銘は、初代の標本的な字形、地刃は総じて野致の趣を呈するなど、彼の作域を把握する上でも好資料且つ優品也。』とあります。
永らく美濃刀愛好家が所蔵していた生ぶい逸品のため、現状は保存ですが、特別保存までは全く問題ありません。
美濃刀コレクションには必ず加えて頂きたい逸品、また美濃赤坂兼元一派のルーツを垣間見ることが出来る、初代兼元の希少な年紀入りの代表作です。
付属の外装は、鞘等に大きな傷みなく、鉄地、赤銅地の龍図の良質な時代金具を使用した渋くてお洒落な作です。
これを逃すと大変です。




