脇差し □武田信玄之剣
慶応元乙丑秋令(一八六五)
是一鍛之(石堂運寿是一)(一八六五)
(これかずこれをきたえる)
Wakizashi:Korekazu
新々刀・武蔵 江戸末期
特別保存刀剣鑑定書付き
『刀剣美術(昭和五十五年九月号)(一九八〇)』所載品

刃長:38.1(一尺二寸六分弱) 反り:0.6 元幅:3.23 元重ね:0.79 穴1
菖蒲造り、鎬高く庵棟低い。 鍛え、板目に杢目、流れ肌が大模様に肌立ち、地沸厚く付き、地景繁く入り、地鉄精良。 刃文、互の目乱れ主体に、小互の目、丁子風の刃を交え、刃縁良く沸付いて匂い深く明るく冴え、刃中互の目足、葉入り、金筋、砂流し頻りに掛かる。 帽子、湾れ込んで沸付き、先掃き掛け返る。 茎生ぶ、先浅い入山形、鑢化粧大筋違い。 銅に金着せハバキ。 時代研磨。 白鞘入り。
【コメント】
石堂是一は、通称政太郎と言い、文化十四年(一八一七)生まれ、長運斎綱俊の甥で、初め綱俊の下で学び、後に六代目石堂是一の娘婿となり、七代目を襲名、名門江戸石堂家の掉尾を飾る名工です。
活躍期は、天保末年から明治二十四年まで、同年七十五歳で没。
作風は、大別して備前伝と相州伝の二様ありますが、やはりその真骨頂は、石堂家のお家芸でもある、備前伝丁子にあります。
新々刀期に於ける備前伝丁子と言えば、固山宗次、横山祐包、浜部寿格など、匂い出来が通例ですが、是一の丁子は沸出来であり、言うなれば、源清麿一派を思わせるような刃中に烈しい金筋、砂流しを伴うものが大半で、一つの見所にもなっています。
本作は、慶応元年(一八六五)、同工四十九歳の頃の作、年紀の後に『秋令』とあるのは、『秋冷』のことと思われます。これは秋になって感ずる冷気。秋の季語。
寸法一尺二寸六分弱、身幅、重ねガシッとした勇壮な菖蒲造脇差し、地刃すこぶる健全、欠点の見当たらない優品です。
特筆すべきは、茎に刻された『□武田信玄之剣』の切付銘、□は模倣するの意。
信玄の差料として余りにも有名なのは、島田助宗作の『おそらく短刀』ですが、本作はおそらく造りではありません。他にも信玄の差料にはこういう作があったのかもしれませんが、今のところは今後の研究、発見を待つしかありません。
本刀は、『刀剣美術(昭和五十五年九月号)(一九八〇)』所載品、その中で『武田信玄の剣写しの是一について』という考察が記載されていますが、それが正に本刀に当たります。
板目に杢目、流れ肌を交えて良く冴えた地鉄、互の目乱れ主体に、小互の目、丁子風の刃を交えた刃は、刃縁明るく冴え、刃中互の目足、葉入り、金筋、砂流し頻りに掛かるなど、同工の真骨頂とも言える素晴らしい出来映えです。
前述したように、このスタイル、出来だけ見れば、清麿一派の作と思います。
兎にも角にも、同工作で、茎に『武田信玄』と刻まれているものは、これしかありません。刀身の出来、迫力も申し分ありませんので、これが刀なら、文句なしで重要刀剣になるでしょう。これは楽しめます、何が何でも押さえて下さい。

