脇差し 舞鶴友英作
(まいづるともひでさく)
安政二乙卯年二月日(一八五五)
Wakizashi:Maizuru Tomohide
新々刀・河内 江戸末期 拵え付き
特別保存刀剣鑑定書付き

刃長:32.3(一尺七分弱) 反り:0.4 元幅:3.26 元重ね:0.64 穴1
平造り、三ッ棟尋常。 表は素剣、裏は腰樋をハバキ下で掻き流す。 鍛え、小板目に板目、杢目交じりで詰み、所々流れて肌立ち、地沸厚く付き、地景入り、地鉄良好。 刃文、大互の目に互の目交じりで、下半は乱れの間隔詰まり、刃縁良く沸付いて匂い深く明るく冴え、刃中互の目足入り、金筋、砂流し掛かる。 帽子、乱れ込んで焼き深く、先尖り風に掃き掛け長く返り、棟寄りを断続的に焼き下げ、棟焼き入る。 茎生ぶ、先浅い栗尻、鑢化粧筋違い。 銅に金着せ二重ハバキ。 時代研磨。 白鞘入り。
脇差し拵え(全長51 幕末期 鞘 黒に塵散らし鞘 飾り金具は銀地容彫、龍図 吊るし栗型部分は、四分一地容彫金色絵、獅子図 小柄、赤銅魚子地据紋、獅子図 裏哺金 柄 細糸平巻き柄 縁頭、鉄地金布目象嵌、波模様図 頭は山路形 目貫、銀地容彫、馬と槍図 ねじ式目釘 鍔 鉄地撫角型、土手耳、据紋象嵌色絵、葦に鷺の図)付き。
【コメント】
舞鶴友英は、大神秀行と言い、初銘を友秀、河内国狭山藩主北条家の抱え鍛冶で、後に江戸四谷に移りました。江戸石堂派に学び、細川正義、固山宗次との交流も深く、備前伝の手解きを受けたと云います。
活躍期は、天保末年から、明治初期頃までと云われ、作風は、寸が延びてガッシリとした幕末特有の豪壮な刀が多く、石堂風の丁子乱れ、互の目乱れを本位とします。
本作は、寸法一尺七分弱、身幅広い勇壮な平脇差しです。
大互の目に互の目交じりの刃は、下半は乱れの間隔詰まって良く揃い、刃縁明るく冴え、刃中互の目足入り、金筋、砂流し掛かる出来で、帽子も長く返り、棟寄りを断続的に焼き下げ、棟焼きも入っています。
表裏腰元の彫りも簡素な意匠ですが、ピシッと整っています。
新々刀期を代表する河内鍛冶、舞鶴友英の覇気溢れる逸品です。


