短刀(加茂打ち) 和泉守兼定(会津十一代)
(いずみのかみかねさだ)
於北越加茂造
Tanto:Izunokuni Kanesada
新々刀・陸奥(越後) 明治最初期
特別保存刀剣鑑定書付き

刃長:28.8(九寸五分) 反り:なし 元幅:2.81 元重ね:0.61 穴1
平造り、庵棟低い。 鍛え、小板目肌やや沈み勝ちに詰み、所々細かに肌立ち、地沸厚く付き、切っ先付近湯走り烈しく掛かり、白け心があり、地景入り、地鉄良好。 刃文、直湾れ調で、刃縁荒沸良く付き、細かなほつれ、二重刃掛かり、金筋、砂流しが頻りに掛かる。 帽子、直調で先小丸に長く返る。 茎生ぶ、先入山形、鑢大筋違い。 銀ハバキ。 時代研磨。 白鞘入り。
【コメント】
会津十一代兼定は、天保八年、会津若松城下に、十代の子として生まれました。父に付いて鍛刀を学び、嘉永五年、十六歳で会津藩に出仕、初め『兼元』と銘し、嘉永七年、十八歳からは、父の代作代銘も行っています。文久三年四月、藩主松平容保の命により上洛、京都御所の警護に当たり、同年十二月、『和泉守』を受領、同時に『兼定』へ改銘、以後元治二年二月に、会津へ帰国するまでの作を、『洛陽(京)打ち』と言います。慶応元年八月、家督を相続、明治二年九月、父が没した後、藩命により、越後国加茂へ移住、以降明治七年九月までの五年間、この地で鍛刀しました。これを『加茂打ち』と言います。明治三十六年、六十七歳没。鍛刀地は、会津、京、越後、最晩年には東京でも鍛刀していますが、京、東京での作はほとんど見られません。会津十一代兼定は、天保八年、会津若松城下に、十代の子として生まれました。父に付いて鍛刀を学び、嘉永五年、十六歳で会津藩に出仕、初め『兼元』と銘し、嘉永七年、十八歳からは、父の代作代銘も行っています。文久三年四月、藩主松平容保の命により上洛、京都御所の警護に当たり、同年十二月、『和泉守』を受領、同時に『兼定』へ改銘、以後元治二年二月に、会津へ帰国するまでの作を、『洛陽(京)打ち』と言います。慶応元年八月、家督を相続、明治二年九月、父が没した後、藩命により、越後国加茂へ移住、以降明治七年九月までの五年間、この地で鍛刀しました。これを『加茂打ち』と言います。明治三十六年、六十七歳没。鍛刀地は、会津、京、越後、最晩年には東京でも鍛刀していますが、京、東京での作はほとんど見られません。会津十一代兼定は、天保八年、会津若松城下に、十代の子として生まれました。父に付いて鍛刀を学び、嘉永五年、十六歳で会津藩に出仕、初め『兼元』と銘し、嘉永七年、十八歳からは、父の代作代銘も行っています。文久三年四月、藩主松平容保の命により上洛、京都御所の警護に当たり、同年十二月、『和泉守』を受領、同時に『兼定』へ改銘、以後元治二年二月に、会津へ帰国するまでの作を、『洛陽(京)打ち』と言います。慶応元年八月、家督を相続、明治二年九月、父が没した後、藩命により、越後国加茂へ移住、以降明治七年九月までの五年間、この地で鍛刀しました。これを『加茂打ち』と言います。明治三十六年、六十七歳没。鍛刀地は、会津、京、越後、最晩年には東京でも鍛刀していますが、京、東京での作はほとんど見られません。 作風は、小板目の良く詰むもの、無地風、板目がうねる肌物、柾目鍛えなどが見られ、刃文も直刃、湾れ、乱れ、三本杉風の互の目と多岐に渡ります。造り込みは、豪壮な作は稀で、姿尋常な作が多く見られます。 本作は、『於北越加茂造』とあることからも分かるように、いわゆる『加茂打ち』、年紀はありませんが、やや細鏨の銘から、明治六年の頃の作と鑑せられます。 寸法九寸五分、身幅しっかりとした大柄な短刀、本誌では、これまでも加茂打ち短刀を数振り掲載しましたが、長くてもせいぜい八寸五分程度ですので、貴重です。 直湾れ調の刃は、二重刃、金筋、砂流し頻りに掛かり、切っ先付近には湯走りが烈しく掛かるなど、沸の働きが盛んです。 地が少し荒れたような所もありますが、加茂打ち短刀でこの寸法は見過ごせません。新撰組鬼の副長、土方歳三の愛刀としても名高い会津十一代兼定です。 作風は、小板目の良く詰むもの、無地風、板目がうねる肌物、柾目鍛えなどが見られ、刃文も直刃、湾れ、乱れ、三本杉風の互の目と多岐に渡ります。造り込みは、豪壮な作は稀で、姿尋常な作が多く見られます。 本作は、『於北越加茂造』とあることからも分かるように、いわゆる『加茂打ち』、年紀はありませんが、やや細鏨の銘から、明治六年の頃の作と鑑せられます。 寸法九寸五分、身幅しっかりとした大柄な短刀、本誌では、これまでも加茂打ち短刀を数振り掲載しましたが、長くてもせいぜい八寸五分程度ですので、貴重です。 直湾れ調の刃は、二重刃、金筋、砂流し頻りに掛かり、切っ先付近には湯走りが烈しく掛かるなど、沸の働きが盛んです。 地が少し荒れたような所もありますが、加茂打ち短刀でこの寸法は見過ごせません。新撰組鬼の副長、土方歳三の愛刀としても名高い会津十一代兼定です。 作風は、小板目の良く詰むもの、無地風、板目がうねる肌物、柾目鍛えなどが見られ、刃文も直刃、湾れ、乱れ、三本杉風の互の目と多岐に渡ります。造り込みは、豪壮な作は稀で、姿尋常な作が多く見られます。 本作は、『於北越加茂造』とあることからも分かるように、いわゆる『加茂打ち』、年紀はありませんが、やや細鏨の銘から、明治六年の頃の作と鑑せられます。 寸法九寸五分、身幅しっかりとした大柄な短刀、本誌では、これまでも加茂打ち短刀を数振り掲載しましたが、長くてもせいぜい八寸五分程度ですので、貴重です。 直湾れ調の刃は、二重刃、金筋、砂流し頻りに掛かり、切っ先付近には湯走りが烈しく掛かるなど、沸の働きが盛んです。 地が少し荒れたような所もありますが、加茂打ち短刀でこの寸法は見過ごせません。新撰組鬼の副長、土方歳三の愛刀としても名高い会津十一代兼定です。
