薙刀(信濃打ち) (切付銘)五拾本内拾三
大慶直胤(花押)
(たいけいなおたね)
天保五年仲春(一八三四)
Naginata:Taikei Naotane
新々刀・武蔵(信濃) 江戸末期 最上作
藤代松雄鑑定書付き
探山先生鞘書き有り

刃長:66.5(二尺一寸九分強) 反り:1.0 元幅:3.08 元重ね:0.81 穴2(内1忍)
薙刀造り、鎬高め庵棟低い。 鍛え、柾目波状に流れ、一部強く流れて柾割れとなり、地沸厚く付き、地景良く入り、地鉄良好。 刃文、湾れ乱れ調の刃文は、互の目、小互の目交じり、刃縁烈しく沸付いて匂い深く、ほつれ、打ちのけ、二重刃、喰違刃掛かり、刃中金筋、砂流しが幾重にも烈しく掛かり、所々沸裂け、沸崩れ状となる。 帽子、湾れ調で先焼き詰める。 茎生ぶ、先栗尻、鑢上半化粧大筋違い、下半せん鋤。 銅に金着せハバキ。 時代研磨。 白鞘入り。
【コメント】
直胤は、安永七年、出羽国山形に生まれ、荘司箕兵衛と言い、大慶と号しました。寛政十年頃、江戸で水心子正秀門下に入り、文政初年頃に独立、文政四年には『筑前大掾』、嘉永元年には『美濃介』へと転じました。
源清麿、水心子正秀と並び『江戸三作』とも呼ばれ、五ヶ伝全てをこなしています。
作は寛政末年ころから安政三年頃まで残されており、安政四年、七十九歳にて没。
五十歳を過ぎた天保年間の頃より、三度の長旅に出て各地で鍛刀しており、それぞれの地名を茎に刻印又は切付銘として残しています。
刻印には、『東(江戸)』、『都(京都)』、『ナニワ(大坂)』、『イセ(伊勢)』、『シナノ(信濃)』、『イツ(伊豆)』、『ヒッチウ(備中)』、『サカミ(相模)』、『エンシウ(遠江浜松)』、『チハ(千葉)』等々があり、どれも希少価値の高いものです。
本作は、天保五年、同工五十七歳の作、刃長二尺一寸九分強、全長で四尺五寸強の薙刀、地刃は現代刀のように健全です。
新々刀期にはまま見られる薙刀ですが、先の身幅が張らずに反りの少ない造り込みは、鎌倉期薙刀の典型スタイルを模したものです。
柾目波状に流れ、一部強く流れて柾割れとなり、湾れ乱れ調の刃文は、刃縁烈しく沸付いて匂い深く、ほつれ、打ちのけ、二重刃、喰違刃掛かり、刃中金筋、砂流しが幾重にも烈しく掛かり、所々沸裂け、沸崩れ状となるなど、刃縁は判然とせず強い輝きを放っています。
このように鍛えが大和伝、刃が相州伝になる作風は同工にはまま見られ、近年では大和相州伝とも呼ばれます。
また『五拾本内拾三』の切付銘に付いて、直胤は、天保四年の終わりから同七年の終わり頃に掛けて、信濃国松代藩主真田幸貫(ゆきつら)の招きによって、その地で五十振り鍛刀しています。いわゆる『シナノ(信濃)』打ちであり、切付銘はそのシリアルナンバー(製造番号)、銘文の通り『五十本の内の十三本目』を意味しています。
本作以外にも『海五拾本内 大慶直胤(花押) 天保四年仲秋』、『造大慶直胤(花押) (刻印)シナノ 天保七年十一月吉日』等の作が残されており、『海』とあるのは、松代城が元々海津城と呼ばれていたことに由来しています。
真田幸貫は、同藩八代目藩主、徳川吉宗のひ孫に当たり、かの有名な『天保の改革』に於いては、水野忠邦より老中として大抜擢され、改革の一翼を担ったほか、自国の藩政改革でも多くの成果を収めています。
江戸末期に於ける名君の一人として数えられる真田幸貫の求めに応じて鍛えた一振り、また同工重要指定品の内、大半が天保年間の作であることからも分かるように最良期の作、新々刀最上作、大慶直胤の『天保シナノ打ち』、藩政時代には真田家に伝来した見逃せない逸品です。





