太刀(国宝名物『山鳥毛』写し) 於備前国大野義光作之
(びぜんのくににおいておおのよしみつこれをつくる)
平成十八年(二〇〇六)
Tachi:Bizennokuni Ohno Yoshimitsu
現代・東京(岡山)
謙信拵え付き(小柄に保存刀装具鑑定書付き)
無鑑査刀匠
平成十八年度『新作名刀展』無鑑査出品作
及び佐野美術館企画展『日本刀の匠たち~私の最高傑作~(平成十九)』出品作

刃長:80.3(二尺六寸五分) 反り:3.2 元幅:3.62
先幅:2.56 元重ね:0.88 先重ね:0.62 穴2
鎬造り、鎬高め庵棟低い、猪首切っ先。 表裏棒樋を掻き通す。 鍛え、小板目肌良く詰み、上品に肌立ち、細かな地景入り、地鉄精良。 刃文、鎬筋を超える程華やかな重花丁子乱れを焼き、刃縁匂い勝ちに明るく締まり、刃中丁子足、葉が間断なく入る。 帽子、乱れ込んで焼き深く、先小丸に返る。 茎生ぶ、先浅い栗尻、鑢勝手下がり。 腰の低い銀二重ハバキ(被せ部分は金無垢)。 時代最上研磨。 白鞘入り。
謙信拵え(現代作 全長111 柄長28 鞘 黒の呂鞘、返り角あり 笄、古金工、赤銅魚子地、図不明 小柄、古美濃で保存鑑定付き、赤銅魚子地金典象嵌、柊図 柄 黒塗り鮫に細裏革柄巻き、縁、赤銅縦横鑢文 頭角 目貫、赤銅容彫色絵、武具図)付き。
【コメント】
無鑑査大野義光による国宝名物『山鳥毛』写し、天下第一の名刀を完璧に再現、且つ謙信拵え付き、比類無き大野丁子最高傑作です。
義光は、大野三男と言い、昭和二十三年、新潟県西蒲原郡黒埼町大野(現新潟市西区大野町)に生まれました。昭和四十四年、東京へ出て吉原義人、荘二門下に入り、昭和五十年には、新作名刀展に初出品、奨励賞を受賞、昭和五十一年に独立し、地元黒埼町(現新潟市西区)に鍛刀場を設立、昭和五十二年、結婚を機に吉川姓となり、東京に新居を構えました。以後昭和六十二年まで、新作名刀展に於いて、高松宮賞五回、努力賞四回、奨励賞、文化庁長官賞と毎年受賞、昭和六十二年六月、無鑑査に認定されました。
備前伝丁子刃の探究とその美しさに於いては他の追随を許さず、世上、『大野丁子』と呼称される華麗な丁子乱れを得意とします。中でも備前福岡一文字の最高傑作、国宝『山鳥毛』写しは、同工の大出世作であり、今や同工の代名詞にもなっています。
本作は、正にその『山鳥毛』写し、平成十八年、同工五十八歳の作です。
勿論本歌は、越後米沢上杉家に伝来した生ぶ無銘の太刀、その丁子刃の華やかさに於いては他に類がなく、『天下第一の名刀』の称号をほしいままにしています。一説よると、刃文の乱れが山鳥の羽毛の如くであったことから名付けられたという『山鳥毛』、謙信が所有して以来、その存在を公にせず、決して世に出さない『御家(おいえ)名物』として同家に伝来、そのため、『上杉家御手選(おてえらび)三十五腰』の一振りですが、享保名物帳などには記載されませんでした。
ちなみに本歌の『山鳥毛』は、令和八年現在、その生誕の地とされる、岡山県瀬戸内市が所有しています。
寸法二尺六寸五分、猪首切っ先、腰反り高く踏ん張りのある豪壮なスタイルは、鎌倉中期の典型的な太刀姿を示しています。
出来は勿論のこと、寸法、反り、身幅は寸分違わず本歌と同じサイズ、樋、目釘穴の位置、数なども全く同じです。
小板目肌良く詰み、細かな地景を配した精良な地鉄、鎬筋を超える程華やかな重花丁子乱れは、ほぼ平地を覆い尽くし、刃縁匂い勝ちに明るく締まり、刃中丁子足、葉が間断なく入るなど、一点の曇りもない素晴らしい出来映えです。
佩表腰元には独特な叢雲(むらくも)状の島刃が見られますが、これが山鳥毛写しの大きな見所となっています。
付属の外装は、現代作ながら本歌にも付属しているいわゆる『謙信拵え』、鐔の付かない合口拵え、柄頭の張ったスタイル、柄巻は深緑(藍)染めの革巻きとするのが掟ですが、それを忠実に再現しており、金具類は古美濃の赤銅小柄など、時代の良い物を使っています。外装のみでも、かなり手を掛けています。
更に、本作は、平成十八年度『新作名刀展』無鑑査出品作及び佐野美術館企画展『日本刀の匠たち~私の最高傑作~(平成十九年)』出品作です。
企画展図録にも、『備前一文字の豪壮な山鳥毛を写して二十余年、既にそれを抜け出して、自作のものにしている。』と評されているように、昭和の終わり頃から挑んできた『山鳥毛』写しが、本作を以て完成したと言って良いでしょう。
遂に出ました国宝『山鳥毛』写し、大野コレクター垂涎の的であることは言うまでもなく、現代刀で最も人気の高い刀と言っても過言ではありません。加えて謙信拵えまでビシッと揃った逸品は、中々出ません。絶対に逃してはならない名品です。





