脇差し 奥州白川臣手柄山正繁
(おうしゅうしらかわかしんてがらやままさしげ)
寛政二二年二月日(一七九二)
尺有所短寸有所長 古河藩隠士小杉為長佩刀
Wakizashi:Oshu Shirakawashin Tegarayama Masashige
新々刀・武蔵 江戸後期 拵え付き
第二十七回重要刀剣指定品(昭和五十五年)(一九八〇)

刃長:51.3(一尺五寸九分) 反り:1.2 元幅:3.63
先幅:2.77 元重ね:0.80 先重ね:0.65 穴1
鎬造り、鎬庵棟低め、中切っ先強く張る。 鍛え、小板目肌良く詰み、所々流れて肌立ち、地沸微塵に厚く付き、細かな地景入り、地鉄概ね精良。 刃文、濤瀾風の大互の目乱れ主体で、刃縁小沸付いて匂い深く明るく冴え、僅かに棟焼き掛かる。 帽子、湾れ調で焼き深く、先小丸風に返る。 茎生ぶ、先浅い入山形、鑢化粧大筋違い(香包風)。 銅に金着せハバキ。 時代最上研磨。 白鞘入り。
脇差拵え(全長74 江戸期 鞘 黒に藍鮫と蝶鮫の合わせ鞘 こじり、四分一研磨地無文 栗型、蝶鮫張り 小柄、四分一地鋤出彫金象嵌、裏鑢目地金象嵌、菊水図 下げ緒、卯の花と鉄紺 柄 鮫に黒糸柄巻き 縁頭、銀研磨地、毛彫片切彫、松に鶴の図 目貫、銀地扇形、毛彫文字図 鍔 銀研磨地鶴丸形透、毛彫、片切彫、鶴の図)付き。
【コメント】
手柄山正繁の重要刀剣、脇差しながらこの迫力、正に豪壮無比、濤瀾風の大乱れの傑作です。
正繁は、三木朝七と言い、宝暦十年の生まれ、播州姫路工、二代氏繁の子で、三代氏繁の弟に当たり、初銘は『氏重』、後に四代目氏繁を襲名、天明八年、奥州白河藩主松平定信(楽翁公)の抱え鍛冶となり、江戸神田の松平下屋敷へ移住、『正繁』と改めました。享和三年に『甲斐守』を受領、文政四年頃には一時大坂でも鍛刀、晩年には楽翁公より『神妙』の二字を賜り、会心の作にはこれを切ると云い、入道して丹霞斎と号しました。
津田越前守助廣に私淑した濤瀾風の大乱れを得意とし、新々刀期に於いては、同時代の水心子正秀、尾崎助隆らに勝るとも劣らない濤瀾刃の名手として名を馳せました。
年紀作に見る活躍期は、寛政元年から文政十三年まで、同年七十一歳没と云います。
銘振りは、『手柄山氏繁』、『奥州白川臣手柄山正繁』、『手柄山甲斐守正繁』、『甲斐守正繁入道丹霞斎』などと切ります。
本作は、同工の典型作とも言える濤瀾風の大乱れの最高傑作、昭和五十五年(一九八〇)、第二十七回重要刀剣指定品です。
同工三十三歳の作で、寸法一尺五寸九分、元幅3.63、先幅も2.77㎝で重ねも厚く、地刃すこぶる健全、刀身がズシッと重いです。
濤瀾風の大互の目乱れ主体の刃は、刃縁明るく冴え、僅かに棟焼き掛かるなど、同工の真骨頂とも言える、素晴らしい出来映えです。
茎裏には、切付銘が色々とありますが、まず『尺有所短寸有所長』、これは中国に古くから伝わることわざの一種で、『尺にも短きところあり、寸にも長きところあり』と読みます。一尺と一寸の違いを優劣に喩えた四字熟語、『尺短寸長(せきたんすんちょう)』の語源で、『どんなに優れた人にも劣った所はあり、劣った人にも優れた所はある。人にはそれぞれ長所と短所がある。どんな人、物にも必ず取り柄はある。』などの意で使われます。
『古河藩隠士小杉為長佩刀』は、古河藩士で、後に隠士(いんし)となった小杉為長の所持刀であった旨を刻してあります。古河(こが)藩は、下総国葛飾郡(現茨城県古河市)に存在した藩。隠士は、特に名声や利得を求めず、また自らの信念や道徳観を守り通すため、俗世を離れて静かな生活をする者。隠者とも。
本作を『尺短寸長』を引用して評すると、刀に比べて短いですが、これだけ迫力のある豪壮な脇差しならば、刀を上回る破壊力、殺傷能力を備えていると言えるでしょう。
付属の外装も当時のオリジナル、藍鮫に蝶鮫を合わせた鞘は雰囲気抜群で、金具類もピシッと揃った大変気持ちの良い一作、状態も良好です。
これは物凄い手柄山正繁、同工の重要刀剣んの中で、刀も含めて、本作が最も身幅が広いでしょう。
新々刀脇差しで重要になっている作なので、欠点など見当たりません。




