刀 (太刀銘)次郎太郎直勝
(じろうたろうなおかつ)
天保九年二月日(一八三八)
応佐伯孫太夫藤原正紀需
Katana:Jiro Taro Naokatsu
新々刀・武蔵 江戸末期 拵え付き
第三十五回重要刀剣指定品(平成元年)(一九八九)

刃長:74.2(二尺四寸五分弱) 反り:2.0 元幅:3.36
先幅:2.41 元重ね:0.88 先重ね:0.60 穴1
鎬造り、鎬高く庵棟低め、大切っ先鋭角となる。 鍛え、小板目に板目、杢目、流れ肌交じり、所々大模様に良く練られ、地沸厚く付き、地景良く入り、地鉄概ね精良。 刃文、互の目乱れ主体で、丁子風の刃、尖り風の刃、片落ち風の刃、角張った刃を交え、物打ち付近の焼き高く、所々逆掛かり、刃縁良く沸付いて匂い深く明るく冴え、下半細かな飛び焼き掛かり、刃中葉、丁子足長く頻りに入り、金筋、砂流し掛かる。 帽子、乱れ込んで焼き深く先掃き掛け返る。 茎生ぶ、先栗尻、鑢化粧大筋違い。 銅に銀着せハバキ。 時代最上研磨。 白鞘入り。
打ち刀拵え(全長104.5 柄長25.3 幕末期 鞘 黒の呂鞘 下げ緒黒 柄 親鮫に黒柄巻き 縁頭、四分一地鋤出彫、金色絵 目貫、銀地容彫、獅子図 鍔 鉄地菊花形地透 菊花図)付き。
【コメント】
直勝は、文化二年生まれ、大慶直胤門人で、後に養子となり、上州館林(現群馬県館林市)の秋元家に仕え、江戸下谷、後に神田佐久間町にて鍛刀したと伝えられています。また越後でも鍛刀したと云います。初め『上総(かずさ)次郎』と銘じたと云い、天保四、五年頃から『次郎太郎』と銘じています。一門に於いては、師に次ぐ実力者、師同様に備前伝と相州伝を得意としました。
年紀作に見る活躍期は、文政三年から安政五年まで、同年七月、五十四歳没、師が没した翌年に当たります。
銘は、『上総次郎直勝』、『荘司次郎藤直勝』、『次郎太郎直勝』、『荘司次郎太郎藤原直勝』などと切ります。
本作は、天保九年、同工三十四歳、真骨頂とも言える備前伝の最高傑作、 平成元年(一九八九)、第三十五回重要刀剣指定の名刀です。
寸法二尺四寸五分弱、大切っ先鋭角で反りやや深め、元先身幅、重ねガシッとした豪壮なスタイルで、地刃は現代刀の如く健全です。
小板目に板目、杢目、流れ肌交じり、所々大模様に良く練られた精良な地鉄、互の目乱れ主体の刃は、物打ち付近の焼き高く、所々逆掛かり、刃縁明るく冴え、下半細かな飛び焼き掛かり、刃中葉、丁子足長く頻りに入り、金筋、砂流し掛かるなど、覇気溢れる素晴らしい出来映えです。
図譜には、『この刀は、直勝の備前伝であるが、多種の刃を交えて華やかに乱れ、沸が良く付き、刃縁の明るい作域で、常々の彼の作に比して一段と金筋、砂流し等が長く現れている。鍛えに大杢目が交じり、乱れに逆掛かったところが見られる点は、師父直胤同様、彼の見所でもある。同作中でも覇気に富んだ作柄で、出来が優れている。』とあり、探山先生鞘書きにも、『本刀は、賑やかな丁子を沸で焼き、正に備前伝と相州伝の折衷的作域也。同工傑出の所作で珍重然るべき哉。』とあります。
荘司次郎藤直勝の最高傑作と言っても過言ではなく、出来は師父直胤に勝るとも劣らないと断言出来ます。
昭和二十六年三月の古い登録証は愛媛県登録、新々刀重要ですので、欠点は皆無、またこれ程良く出来た直勝も見たことありません。





