刀 二字国俊(無銘)
(にじくにとし)
Katana:Niji Kunitoshi(Mumei)
古刀・山城 鎌倉中期 最上作
第十回特別重要刀剣指定品(昭和六十二年)(一九八七)
薫山及び探山先生鞘書き有り

刃長:71.5(二尺三寸六分弱) 反り:2.4 元幅:3.04
先幅:2.14 元重ね:0.62 先重ね:0.42 穴2
鎬造り、鎬高め庵棟低い、中切っ先やや猪首風となる。 表裏棒樋を掻き通す。 鍛え、小板目に板目、杢目、流れ肌を交えて良く錬られ、地斑状の映り立ち、地沸厚く付き、地景繁く入り、地鉄精良。 刃文、広直刃湾れ調の刃取りで、小互の目、小丁子、小乱れを交えて密に詰まり、刃縁小沸良く付いて匂い深く明るく冴え、刃中小足、丁子足、葉頻りに入り、繊細な金筋、砂流し掛かる。 帽子、湾れ調で二重刃掛かり、先小丸に返る。 茎大磨り上げ、先栗尻、鑢浅い勝手下がり。 金無垢二重ハバキ(三つ藤巴紋入り)。 時代最上研磨。 白鞘入り。
【コメント】
二字国俊の特別重要刀剣、健全さ、迫力、風格等々、全てに於いて重要文化財級と認められた感動的な一振り、来派筆頭鍛冶、同工壮年期の代表作となる不朽の名品です。
国俊は国行の子で、銘には『来』を冠しない『二字国俊』と、『来国俊』と三字銘に切るものとがあります。
古来より『二字国俊』と『来国俊』に付いては、その作風、銘振り等の違いから、別人説も論じられてきましたが、近年の重要図譜では、『両者の製作年紀を合わせると、弘安元年(一二七八)から元亨元年(一三二一)までの約四十年となり、一人の刀工による作刀期間と考えても決して無理な年数ではない。』としており、現在は二字国俊を前期、来国俊を後期とする同人説が定説になりつつあります。
これは、ほぼ同時期の長船長光などもそうであったように、時代の求めに応じて、刀姿、作風が変化して行くのは、何ら不思議なことではないと考えられるためです。
作風は、国行を思わせる身幅しっかりとした猪首風切っ先の勇壮な姿に、備前一文字派の作を思わせるような丁子刃の目立つ華やかな乱れを焼き、小沸出来となるものが多く、地鉄は、国行同様に比較的肌合いが大きく肌立ち心となる傾向があります。
本作は、大磨り上げ無銘ながら『二字国俊』と極められた一振り、昭和四十八年(一九七三)、第二十一回の重要刀剣及び昭和六十二年(一九八七)、第十回の特別重要刀剣に指定された名品中の名品です。
寸法二尺三寸六分弱、切っ先猪首風にやや詰まり、元先身幅しっかりとした勇壮な造り込みで、大磨り上げながらも、未だ深めの輪反り姿を留めています。
小板目に板目、杢目、流れ肌を交えて良く錬られた精良な地鉄は、地斑状の映り立ち、広直刃湾れ調の刃取りで、小互の目、小丁子、小乱れを交えた刃は、焼きの間隔が密に詰まり、刃縁明るく冴え、刃中小足、丁子足、葉頻りに入り、繊細な金筋、砂流しが掛かっています。
図譜には、『本作は大磨り上げ無銘であるが、焼き高く賑やかな沸出来の丁子乱れを見せるなど、華麗な作風であり、二字国俊の見所が顕著に示されている。』とあり、探山先生鞘書きには、『本作は、輪反り深く、幅広、猪首鋒の剛気な姿態を呈せり。地刃の出来は、正に父国行風を踏襲しつつ、丁子や映りを強調し、備前気質を加味したる感ありて、同工の特色が把握され、優雅な品格を湛え見事也。』とあります。
京物らしい上品な華やかさと沸の煌めき、鎌倉中期らしい力感溢れる造り込み、これらのバランスが絶妙な一振り、『二字国俊』の無銘極めは中々ありませんし、且つ無銘の特別重要ですので、その状態は完璧です。
日刀保の審査基準に於いても、『特別重要刀剣は、重要刀剣の中で、更に一段と出来が傑出し、保存状態が優れ、国認定の重要美術品の上位に相当すると判断されるもの、若しくは国指定の重要文化財に相当する価値があると考えられるもの。』としています。
三つ藤巴紋が陰刻された金無垢二重ハバキは、ズシッと重く重厚感たっぷりです。因みに、三つ藤巴紋と言えば、令和八年度大河ドラマ『豊臣兄弟!』に登場する軍師黒田官兵衛こと黒田孝高(よしたか)や『鬼平犯科帳』でお馴染み、火付盗賊改方(ひつけとうぞくあらためかた)、長谷川平蔵宣以(のぶため)の家紋です。
いずれにしても、これだけの名刀ですので、相当な名家の伝来、旧蔵品であったことは間違いありません。
鎌倉中期に於ける来派の最高峰、二字国俊の美点が存分に示された典型作優品、大凡八百年の星霜を微塵も感じさせない地刃の健全さ、出来、鉄質の良さ等々、全てに於いて重要文化財級です。
この二字国俊は別格、物凄い一振りです。





