刀 雲生(無銘)
(うんしょう)
Katana:Unsho(Mumei)
古刀・備前 鎌倉末期 拵え付き
第十五回重要刀剣指定品(昭和四十二年)(一九六七)
(附)宝永五年本阿弥光忠折紙(一七〇八)

刃長:71.3(二尺三寸五分強) 反り:1.4 元幅:2.65
先幅:1.75 元重ね:0.60 先重ね:0.42 穴2
鎬造り、鎬高め庵棟低い、小切っ先。 鍛え、小板目に板目、杢目、流れ肌交じり、所々大模様となって良く練られ、地沸厚く付き、ほのかに地斑状の映り立ち、地景を繁く配し、地鉄良好。 刃文、直刃調で小互の目、小丁子を交えて総体的に逆掛かり、刃縁匂い勝ちに小沸付いて良く冴え、刃中葉、小足、逆足繁く入り、金筋、砂流し掛かる。 帽子、湾れ込んで直調、先小丸に返る。 茎大磨り上げ、先切り、鑢勝手下がり。 銀に金鍍金ハバキ。 時代最上研磨。 白鞘入り。
太刀拵え(全長99 柄長22.5 幕末期 鞘 錦布に黄鉛色糸巻きを全体に施した鞘 金具類、全て鉄、太鼓金に三つ巴紋あり 柄 鞘同様に錦布に黄鉛色柄巻き 縁、兜金、猿手は鉄 目貫、鉄地に平象嵌、花菱紋三双図 鍔 鉄地葵形猪の目透、大切羽同)付き。
【コメント】
雲生(無銘)の重要刀剣、美しくしなやかな姿、最高権威、宝永五年本阿弥光忠折紙が附帯した典型作優品です。
雲生、雲次、雲重らの刀工は、鎌倉末期から南北朝期に掛けて、備前国宇甘(うかい)庄、現在の岡山市北区御津(みつ)付近で鍛刀したことから宇甘派、若しくは『雲』の字を通字としたことから『雲類』とも呼ばれます。
作風は、小板目良く詰み、直刃調で刃縁締まる来風の出来、板目が肌立ち、直刃に逆掛かる刃を交えて沸良く付く青江風の出来の二様に大別され、地には地斑映りが出る作を多く見ますが、刃沸の強い作ではあまり目立ちません。また大和風が強く出る作もあります。在銘品であれば、鑢目が大筋違いとなるのは青江風であり、逆鏨を多様する銘字なども大きなポイントです。反りが輪反りとなる点は来風で、刀姿は雲生、雲次、雲重と時代が下がるに連れて、次第に強く豪壮になります。
本作は、無銘ながら『雲生』と極められた優品、昭和四十二年(一九六七)、第十五回重要刀剣指定品です。
雲生は一派の棟梁で、雲次の父とも兄とも伝えており、重要文化財六口、重要美術品九口を数える名工で、雲次と共に京へ上り、後醍醐天皇の御番鍛冶を務めたと云います。
年紀作は皆無ですが、雲次に正和(一三一二~一七)、文保(一三一七~一九)、建武(一三三四~三六)の年紀作がありますので、その活躍期はほぼ明確となっています。
寸法二尺三寸五分強、小切っ先で浅い輪反り風の上品な姿を示しています。
小板目に板目、杢目、流れ肌交じりの地鉄は、所々大模様となって良く練られ、ほのかに地斑状の映り立ち、直刃調で小互の目、小丁子を交えた刃は、総体的にやや逆掛かり、刃縁も良く冴えています。
図譜にも、『この刀は、地刃に雲類の特色が顕著であり、姿、作風より雲生の極めが至当である。小板目の良く詰んだ精美な鍛えが特筆され、また刃縁も明るく、刃中も細やかに働くなど、典雅な作域を示した同工極めの優品である。』とあるように、これくらい雰囲気のある雲生は中々ありません。
また本刀には、図譜にも記載があるように、宝永五年(一七〇八)、十三代本阿弥光忠の折紙が附帯しており、『備前国雲生』の極め及び『代金子十三枚』の代付けがされています。
光忠は、本阿弥本家十三代当主で、折紙は元禄九年(一六九六)~享保十年(一七二五)まで残されており、同年九月没。
本阿弥本家の折紙でも、特に十三代光忠までのものは、鑑定が厳格で信用が置けるため、『古折紙』又は『上折紙』と呼ばれ珍重されます。
その光忠が、晩年の享保四年、八代将軍吉宗の命により編纂したのが、かの有名な『享保名物帳』です。
その光忠の折紙が附帯した雲生の典型作優品、幕末期の太刀拵え付属、雲類がお好きな方には、存分に楽しんで頂ける名刀です。




