刀 美濃国御勝山麓住藤原永貞於江戸作之
(みののくにおかちさんろくじゅう
ふじわらのながさだえどにおいてこれをつくる)
(切付銘)あさみどり (茎棟に)文久三年卯月日(一八六三)
Katana:Minonokuni Okachisanrokuju Fujiwarano Nagasada Edo
新々刀・美濃(武蔵) 江戸末期
特別保存刀剣鑑定書付き

刃長:75.9(二尺五寸強) 反り:2.8 元幅:3.12
先幅:2.27 元重ね:0.74 先重ね:0.51 穴:1


【コメント】
永貞は、松井治一郎と言い、文化六年(一八〇九)、松井直三郎の子として現在の岐阜県不破郡垂井町表佐(おさ)に生まれました。同工の師伝に付いては、はっきりと分かっていませんが、美濃赤坂千手院、又は美濃金重の末流とも伝わっています。
銘文にまま見られる『御勝山』とは、生地である表佐より北へ向かって程近い岐阜県大垣市赤坂町にある海抜53メートルの丘陵で、正式には岡山と言います。慶長五年(一六〇〇)、関ヶ原合戦で東軍の総大将徳川家康の本陣が構えられた場所で、天下分け目の大合戦に勝利を得た徳川ゆかりの地を記念して、『御勝山』の名を与えられたと云います。
同工は地元以外でも鍛刀しており、万延元年(一八六〇)頃には伊勢国田丸、文久三年(一八六三)頃からは江戸青山、一時紀州徳川家の御用鍛冶として紀伊、晩年は京都で公卿、勤皇家のために鍛刀しています。明治二年、六十一歳で没。
作風は、身幅しっかりとした長寸の作が多く、互の目乱れを主体とした沸出来の刃文は、一見清麿一門を思わせるものがあります。また新選組隊士河合耆三郎(きさぶろう)の愛刀としても有名です。
本作は文久三年、同工五十五歳の頃、銘文にも『於江戸作之』とあるように、『江戸打ち』の貴重な一振りです。
寸法二尺五寸強、同工には珍しい反り深い太刀風のスタイル、おそらく注文打ちかと思われます。
互の目乱れを主体とした刃文は、刃縁荒沸良く付いて匂い深く、明るく締まり気味となるなど、地刃共に良く冴え、すこぶる健全です。
年紀は茎棟部分に切ってあり、茎裏には『あさみどり(浅緑)』の号が切り付けてあります。『あさみどり』とは、春に芽吹いた若葉のような、うすい緑色のことで、古来より様々な和歌などの枕詞として用いられています。卯月(四月)の作に相応しく、何とも美しい言葉の響き、粋な公卿の注文打ちだったのではないでしょうか。
御勝山永貞の『江戸青山打ち』、勝運を招く一振り、この度特別保存鑑定が付きました。




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