脇差し 濃州関住兼常
(のうしゅうせきじゅうかねつね)
天文十一年二月吉日(一五四二)
Wakizashi:Noushu Sekiju Kanetsune
古刀・美濃 室町末期 拵え付き
探山先生鞘書き有り

刃長:40.1(一尺三寸二分強) 反り:0.7 元幅:3.04 元重ね:0.72 穴3

脇差拵え(江戸末期 全長56.5 鞘 黒石目変塗 こじり、四分一石目地鍬型 小柄、赤銅魚子地高彫色絵、荒波に龍図 返り角、栗型は赤銅魚子地金象嵌、丸に角立井筒紋図 柄 親鮫に臙脂と卯の花二色の蛇腹巻 縁、鉄地金象嵌肥後縁 頭、鉄地毛彫唐草図 目貫、赤銅色絵、采配図 鍔 鉄地二瓜形、金象嵌唐草図)付き。

【コメント】
兼常一門は、関七流奈良派の棟梁格、兼元、兼定一派に比肩する美濃関鍛冶の名門で、室町初期の応永から幕末まで同銘が多数います。その出自に付いては、古伝書等では、大和手掻包永の末と伝わっていますが、近年の『美濃刀大鑑』等では大和千手院系としており、美濃千手院鍛冶とも密接な関係があったとしています。同派からは尾張、山城、出雲、武蔵等へ移住しており、後に改銘して尾張へ移住した相模守政常なども同派出身です。
本作は寸法一尺三寸二分強、先反り僅かに付き、身幅、重ねしっかりとした平脇差し、鉄質の良さを感じる精良な鍛えに、刃縁の明るく締まった覇気のある魅力的な刃を焼いています。
兼常のみならず、美濃鍛冶は二字銘が多く、年紀作は僅少、俗名や受領銘を切ったものは皆無である中、長銘に切って天文年紀まである作は、本誌初掲載です。本来なら同工年紀作として、『美濃刀大鑑』、『室町期 美濃刀工の研究』辺りに掲載されていてもおかしくないですが、登録証を見ると、平成二十九年の岐阜県登録になっています。おそらくサビ身の状態で永らく眠っていたものに登録を付けて、研ぎを掛けたものと思われます。誰の研ぎか分かりませんが、差し込み風で美濃物の美点を上手に出していますので、かなりの名人でしょう。
地の緩み等が僅かにあり、穴が少し多いですが、希少価値がそれを遙かに上回っているため全く気になりません。現状未鑑定ですが、特別保存までは問題ありません。大変貴重な兼常です。




お買いものガイド
