刀 (菊紋)伊賀守藤原金道(三代)
(いがのかみふじわらのかねみち)
日本鍛冶惣匠
Katana:Iganokami Fujiwarano Kanemichi
新刀・山城 江戸中期 業物 拵え付き
特別保存刀剣鑑定書及び日本刀剣保存会(優秀作)鑑定書付き
刃長:68.2(二尺二寸五分強) 反り:2.3 元幅:3.69
先幅:2.48 元重ね:0.86 先重ね:0.56 穴1
打ち刀拵え(現代作 全長99.5 柄長23 鞘 茶の呂塗鞘 返り角あり 下げ緒浅葱色 柄 鮫に黒柄巻 縁頭、赤銅魚子地高彫金色絵、菊花図 目貫、赤銅容彫色絵、武具の図 鍔 赤銅魚子地、据紋象嵌色絵、菊枝図)付き。
【コメント】
伊賀守金道家は、初代が三品四兄弟の長兄で、後に徳川家康の働き掛けにより、朝廷から『菊紋』、『日本鍛冶惣(宗)匠』の免状、『雷除(かみなりよけ)』の号を賜りました。
慶長十九年、『大坂冬の陣』に先駆けて、家康から金道家に対して『百日之間に千腰之太刀調進せよ(百日で千振り鍛刀せよ)』との命が下りました。金道は一族一門、その他諸国の鍛冶を総動員して、昼夜を問わず鍛刀、期日までに完納、これに対する家康の褒美が前述の通りです。
特に『日本鍛冶惣匠』の免状は、全国の鍛冶職に就く者全てが、金道家の配下であることを認めさせる特権と地位を与えた証です。『雷除』は、『雷除御守』など雷避けの守り神、守護神の意。
ただ実際茎に『菊紋』と『日本鍛冶惣(宗)匠』と刻するのは二代以降で、『雷除』は五代からになります。
本工は三代伊賀守金道、明暦五年(一六五五)生まれ、二代の子で三品勘兵衛を襲名、延宝八年(一六八〇)、二代没後に三代金道を継承、貞享元年(一六八四)、伊賀守受領、茎には『菊紋』と『日本鍛冶惣匠』と刻しますが、享保七年(一七二二)頃からは『日本鍛冶宗匠』と刻します。同十一年、七十二歳没。
本作は寸法二尺二寸五分強、切っ先やや詰まり気味で反り深め、身幅3.69㎝で、重ねもガシッとした豪壮な一振り、地刃健全、大きな欠点もありません。
上品に肌立った綺麗な地鉄、直調の京焼き出しに始まる刃文は、互の目乱れを主体に、角張った刃、箱掛かった刃を交え、刃中金筋、砂流し掛かるなど、地刃良く冴えた覇気のある出来映えです。特別保存及び日本刀剣保存会(優秀作)鑑定書も付属していることからも分かるように、三代の刀で、これくらい立派な作は中々お目に掛かりません。
昭和二十六年の古い登録証は、群馬県登録、金着せ二重ハバキ、外装もピシッと付いています。 日本鍛冶惣匠、三代伊賀守金道の代表作と成り得る逸品です。