太刀 生ぶ無銘(伝綾小路)
(でんあやのこうじ)
天正二年二月日(一五七四)
Tachi:Mumei(Den Ayanokouji)
古刀・山城 鎌倉前期 拵え付き
特別保存刀剣鑑定書付き
探山先生鞘書き有り
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刃長:81.8(二尺七寸弱) 反り:3.7 元幅:3.03
先幅:1.61 元重ね:0.70 先重ね:0.37 穴1
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打ち刀拵え(現代 全長112 柄長26 鞘 黒の呂鞘、返り角あり 下げ緒、紺に白の斑 柄 親鮫に鉄紺柄巻 縁頭、赤銅研磨地無文 目貫、赤銅容彫金色絵、波の図 大鍔 鉄槌目地木瓜形、鋤出彫、龍図)付き。
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【コメント】
綾小路一派は、京都四条の綾小路にて鍛刀した一派と伝えられ、定利をその筆頭とし、門下には定吉らがいます。定利には東京国立博物館所蔵の国宝太刀一口を始め、重要文化財五口、重要美術品が八口残されています。
定利の活躍期に付いては、これまでどの古伝書に於いてもほぼ文永(一二六四~七四年)頃と定め、同時代の来国行とも親交が深かったとしていましたが、その後の研究で、定利の古京物(三条、五条派)に近い作風、造り込み等から総合的に判断すると、国行よりも一時代古い刀工であるという見解が有力になってきました。そのため近年の特別重要図譜などでは、定利を始めとする同派の製作年代を鎌倉前期と改めています。
本作は、寸法二尺七寸弱、『伝綾小路』と極められた一振り、茎先を僅かに摘まんでありますが、生ぶ穴一つ、刀身は完全な生ぶ姿を留めており、輪反り深い踏ん張りのある優美な姿は大きな見所です。
直湾れ調の刃取りで、小丁子、小乱れ、小互の目を交えた刃文は、焼きの間隔詰まり、刃縁小沸付いて匂い深く、やや潤んで沈み勝ちとなり、刃中小足、葉入るなど、古京物の伝統を墨守した古雅な味わいを醸し出しています。
鎌倉中期を下らない生ぶ太刀と考えれば、地刃に鍛え肌、焼き刃に所々弱い箇所が見受けられるのは致し方ありません。
探山先生鞘書きには、『生ぶ茎、目釘穴一の無銘也。その姿、地刃の出来からして、定利、定吉等、一類の特色を示す優品也。』とあるように、時代の上がる京物の典雅な雰囲気を存分に味わえる綾小路です。
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