脇差し 筑前守信秀
(慶応二年頃)
(ちくぜんのかみのぶひで)
於摂州浪花


Wakizashi:Chikuzennokami Nobuhide



新々刀・武蔵 江戸最末期 拵え付き
保存刀剣鑑定書付き




刃長:35.3(一尺一寸七分弱) 反り:なし 元幅:3.20 元重ね:0.68 穴1



平造り、庵棟尋常。 表裏共に幅広の菖蒲樋をハバキ上で角留めにし、裏は樋中に矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制多迦童子(せいたかどうじ)を浮き彫りにする。 鍛え、板目に杢目を交え、所々流れ心に肌立ち、地沸厚く付き、地景入り、地鉄良好。 刃文、互の目乱れを主体とし、小互の目、尖り風の刃、丁子等を交え、刃縁良く沸付いて匂い深くやや沈み勝ち、刃中葉、互の目足入り、金筋、砂流し掛かる。 帽子、直調で、先掃き掛け小丸風に返る。 茎生ぶ、先栗尻、鑢筋違い。 銅に金着せハバキ。 時代研磨。 白鞘入り。
脇差拵え(幕末期 全長61 鞘 黒に螺鈿変わり塗鞘、鯉口下四寸朱塗り 小柄、鉄研磨地据え文色絵、梅に鶯図 下げ緒卯の花 柄 黒塗鮫に卯の花柄巻 縁頭、鉄地肥後、松葉図 目貫、赤銅容彫色絵、波に武者図 鍔 鉄地変わり形地透、鶴の図)付き。



【コメント】
栗原信秀は、文化十二年、現在の新潟市南区月潟付近に生まれ、嘉永三年に江戸へ出て清麿門に入りました。嘉永五年には独立、同六年八月から同七年に掛けて相模国浦賀、元治元年八月から慶応三年正月までは大坂今宮でも鍛刀、それぞれ『浦賀打ち』、『大坂打ち』とも呼ばれます。
慶応元年、『筑前守』を受領、明治十三年、東京本郷元町宅にて六十六歳で没。
作風は、師同様に互の目乱れを主体とした覇気溢れるものが多く、また彫りの名人としても有名で、月山貞一、本荘義胤と共に、幕末の『三大名人』とも呼ばれます。
銘振りの変遷として、最初期は『信秀』、嘉永七年二月から文久二年八月までは、『栗原謙司信秀』、文久三年正月から元治二年二月までは、『平信秀』若しくは『信秀』、『筑前守』を受領後、慶応元年四月から同四年六月までは、『筑前守信秀』銘が主で、明治元年からは、『栗原筑前守平朝臣信秀』なども加わります。
本作は、寸法一尺一寸七分弱、身幅広い勇壮な平脇差し、年紀はありませんが、『於摂州浪花』とあるように、前述した『大坂打ち』であり、且つ『筑前守』受領後の銘であるため、慶応元年から同三年正月までの間に限定され、その銘振り等からして慶応二年頃と鑑せられます。
出来は、清麿一門の真骨頂である、互の目乱れ主体の烈しい出来で、刃中角張る刃、尖り心の刃を交える点に同工の個性も良く示されています。
裏の樋中には、不動明王の化身、矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制多迦童子(せいたかどうじ)の二童子を浮き彫りにしてあります。二童子は、同工が得意とした意匠ですが、同工の彫り口とは異なり、鑑定書にも『彫物信秀別人』と但し書きがあります。
付属の幕末期拵えは、変わり塗り鞘で雰囲気良くまとめてあります。
栗原信秀壮年期の貴重な『大坂打ち』、大きな欠点のない魅力的な佳品です。












【売約済】商品番号:P-344 脇差し 筑前守信秀(慶応二年頃) 於摂州浪花 保存刀剣鑑定書付き 拵え付き

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