刀 濃州関三阿弥兼国末葉 伯耆守藤原信高(初代)
(ほうきのかみふじわらののぶたか)
於尾州名護屋作 寛永三年寅良月吉日(一六二六)
Katana:Houkinokami Fujiwarano Nobutaka
新刀・尾張 江戸初期 業物
特別保存刀剣鑑定書付き
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刃長:68.6(二尺二寸六分強) 反り:1.1 元幅:2.87
先幅:2.11 元重ね:0.64 先重ね:0.48 穴3(内2埋)
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【コメント】
初代信高は、河村左衛門と言い、永禄四年、美濃国上有地(こうずち)(現美濃市)に関七流三河弥兼国の子として生まれました。天正初め頃、尾張国清須関鍛冶町に移住、清須在住時の織田信長に仕え鍛刀し、以後歴代の清須城主に仕えました。天正九年、伯耆守を受領、慶長十五年、尾張藩初代藩主徳川義直に従って名古屋城下に移住、寛永十年、二代に家督を譲ると同時に入道して慶遊と号しました。寛永十三年、七十六歳没。
現存する作刀は鎬造りの刀、脇差しが大半で、平身脇差し、短刀、槍、薙刀などは僅少で、年紀作もほとんど見ません。
作風は、飛騨守氏房に近いものがありますが、中には大志津、江義弘を思わせる出来もあります。刀姿も、前期は豪壮な慶長新刀姿、後期は徐々に優しくなって行きます。
本作は、寸法二尺二寸六分強、先反りやや浅め、三寸程磨り上がっていますが、 初代で年紀を刻した銘振りは本誌初掲載、その年紀、造り込みからも分かるように、同工晩年円熟期の作に当たります。加えてその出自、鍛刀地まで添えた銘振りは、『尾張刀工譜』等の押形でしか見たことがありません。
所々湯走りが沸映りの如く広範囲に掛かる地鉄、互の目乱れを主体とした焼き刃は、刃中太い金筋が掛かって沸裂け状となり、帽子も沸付いて焼き深くほぼ一枚風となるなど、とにかく地刃の沸が強いです。
地に少し鍛え肌もありますが、特別保存鑑定が付いているように、地刃は健全です。
新刀尾張関鍛冶筆頭、初代伯耆守信高の覇気溢れる典型作、信高の名跡は幕末まで十代に渡りますが、初代の在銘正真作は貴重、且つこの銘振りは、今後まず出ないでしょう。
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