刀 津田越前守助廣
(つだえちぜんのかみすけひろ)
寛文九年二月日(一六六九)
Katana:Tsuda Echizennokami Sukehiro
新刀・摂津 江戸前期 最上作 大業物 拵え付き
特別保存刀剣鑑定書付き
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刃長:73.8(二尺四寸四分弱) 反り:1.3 元幅:3.20
先幅:2.04 元重ね:0.71 先重ね:0.50 穴3(内2埋)
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上打ち刀拵え(幕末期 全長107 柄長26.8 鞘 黒の呂塗 下げ緒、濃いグレー 栗型しとどめ有り 笄欠 柄 親鮫に鉄紺蛇腹巻柄巻 縁頭、銘貞親花押、赤銅魚子地高彫金色絵、角字紋図 鍔 赤銅魚子地据え紋象嵌色絵、菊花と角字家紋図)付き。
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【コメント】
二代助廣は、寛永十四年、現在の兵庫県芦屋市に生まれ、大坂に出て初代助廣の門人となり、後に養子となって二代助廣を襲名しました。井上真改と双璧を成す大坂新刀鍛冶の最高峰で、同工が創始した濤瀾刃は、それ以降の数多の刀匠に多大なる影響を与えており、華やかな乱れ刃の代名詞となっています。
作刀期間は、承応二年から天和二年までの三十年余り、銘の変遷としては、最初は基本『越前守助廣』銘、寛文七年二月からは、津田を冠した『津田越前守助廣』銘、いわゆる『角津田』銘、延宝二年二月以降、天和二年正月までは、表裏草書風の『丸津田』銘となります。同年三月、四十六歳で急逝。
作風は、初期は全て初代風を継承、寛文三年に初代が没してからは、濤瀾風の刃が交じる互の目乱れ主体で、焼きの谷に玉を焼くようになります。同工の代名詞でもある濤瀾刃が完成するのは、角津田銘の終わり頃、寛文末年頃になります。
本作は、寛文九年二月、同工三十三歳の頃の作、いわゆる『角津田』銘の地刃良く冴えた佳品、寸法二尺四寸四分弱、反りやや浅めに付いた典型的な寛文新刀スタイルで、地刃健全です。
穏やかな湾れ調の焼き刃は、刃縁にきめ細かい美しい沸が付き、匂い深く明るく冴えるなど、決して単調な出来ではなく、同時期の他の刀工とは一線を画す、同工ならではの高い技量が良く示されています。
外装も幕末期の上質な作、赤銅魚子地金具を使用して雰囲気良くまとめてあります。
少し地に緩みがありますが、鉄の美しさ、刃の働きは大きな見所、角津田銘年紀入りの刀は貴重です。
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