脇差し 藤原国貞(初代和泉守国貞)
(ふじわらのくにさだ)
Wakizashi:Fujiwarano Kunisada
新刀・摂津 江戸初期 大業物
拵え付き(二所に保存刀装具鑑定書付き)
保存刀剣鑑定書付き
寒山先生鞘書き有り

刃長:40.5(一尺三寸四分弱) 反り:1.2 元幅:3.17
元重ね:0.71 先重ね:0.52 穴1
上脇差拵え(全長43.5 現代作 鞘 黒の呂鞘 小柄笄、赤銅魚子地高彫色絵、山茶花図 下げ緒紫 柄 親鮫に古代紫糸の蛇腹巻き 縁頭赤銅魚子地高彫金色絵、笹枝図 目貫、赤銅容彫金色絵、菊花図)付き。
【コメント】
国貞は、天正十八年、日向国生まれ、後に上洛して同郷の堀川国廣門下に入り、兄弟子の越後守国儔に学びました。慶長十九年の国廣没後、元和五年頃には独立して、同門の初代河内守国助と共に大坂へ移住、元和九年、『和泉守』を受領、晩年には入道して、道和と称したとも伝えています。国助と共に『大坂新刀の祖』と呼ばれ、井上真改の父であることから『親国貞』とも呼ばれます。慶安五年、六十三歳で没。
年紀作に見る活躍期は、元和七年から寛永二十一年まで、年紀作は僅少ですが、その銘振りによって大凡の年代が分かります。
本作は、年紀はありませんが、大振りな銘で『和泉守』を冠していないことから、元和九年以前の作であることが分かります。
同工の場合、最初期は、『国』の字を『國』と楷書で切り、元和七年以降は、やや崩した行書で切ります。本作は、『国』の字が行書で、且つ受領前であることから、元和八年、同工三十三歳頃の作と鑑せられます。
寸法一尺三寸四分弱、身幅、重ねしっかりとした勇壮な平脇差しで、直調の大坂焼き出しから、互の目主体の刃を焼き、刃縁明るく冴えるなど、出来は如何にも親国という典型的作風です。
刃に少し鍛え肌等もありますが、寒山先生の鞘書きにも、『国貞初期作也。珍品好資料也。』とあるように、この銘振りも含めて、この頃の作は中々見ません。
付属の拵えも、良い金具等を使用して、上手にまとめてあります。二所、赤銅魚子地山茶花図の小柄笄は、加賀後藤で鑑定付き。
これは見過ごせない親国です。





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