刀 筑州柳川住鬼塚吉国
(ちくしゅうやながわじゅうおにづかよしくに)
Katana:Chikushu Yanagawaju Onizuka Yoshikuni
新刀・筑後 江戸前期
特別保存刀剣鑑定書及び甲種特別貴重刀剣認定書付き

刃長:72.1(二尺三寸八分弱) 反り:2.0 元幅:3.25
先幅:2.26 元重ね:0.74 先重ね:0.65 穴2
【コメント】
鬼塚吉国は、天正二年(一五七四)、陸奥国棚倉、現在の福島県東白川郡棚倉町(たなぐらまち)に生まれ、初めは地元で鍛刀しました。その頃この棚倉藩を治めていたのは、『関ヶ原の戦い』の後に国替えされていた立花宗茂でしたが、『大坂夏の陣』の功績により、元和六年(一六二〇)、旧領筑後国柳川藩主として返り咲くことを許されました。その際に、地元で業物鍛冶として有名だった吉国は、立花家にその鍛刀技術を買われ、柳川に移り住み鍛刀しました。
寛永十四年(一六三七)、『島原の乱』が勃発、九州全藩がその鎮静のために参戦するという大規模な内乱となります。吉国は柳川藩士、久留米藩士の求めに応じて数多く作刀、実戦に於いて吉国刀の凄まじい斬れ味が実証された結果、『柳川に鬼塚吉国あり』とその名を天下に知らしめました。
年紀作はほとんど見られませんが、『寛永十七年八月』年紀の作が僅かに残されており、活躍期は寛永から慶安頃としています。
肥前忠吉に近い直刃調の作風を得意とし、銘は『鬼塚吉国』、『筑州柳川住鬼塚吉国』などと切ります。
本作は、寸法二尺三寸八分弱、下が生ぶ穴で僅かに区送りしていますが、茎尻は生ぶです。
身幅重ね共にしっかりとした造り込みで、手持ちしっかりとした地刃健やかな一振り、年紀はありませんが、寛永末年から正保頃の作と鑑せられます。
板目に杢目、流れ肌を交えて良く練られ、所々上品に肌立つ地鉄、湾れ調で互の目交じりの刃は、刃縁明るく締まり気味となり、ほつれ、二重刃風の沸筋掛かり、刃中小互の目足、小足、葉頻りに入り、金筋、砂流し掛かるなど、末備前清光辺りを思わせるとても魅力的な一振り、特に欠点はありません。
『島原の乱』では、あの天草四郎もその斬れ味に驚愕した鬼塚吉国です。




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