刀 (太刀銘)左行秀(花押)
(さのゆきひで)
嘉永五年八月日(一八五二)
Katana:Sano Yukihide
新々刀・土佐 江戸末期
特別保存刀剣鑑定書付き
探山先生鞘書き有り
『新々刀集(刃文と銘字)(藤代義雄著)』所載品

刃長:80.8(二尺六寸七分弱) 反り:1.6 元幅:3.18
先幅:2.07 元重ね:0.76 先重ね:0.63 穴2 (内1忍)
【コメント】
行秀は、文化十年、現在の福岡県朝倉市杷木(はき)星丸に生まれました。豊永久兵衛と称し、東虎とも号しました。天保初年に出府し、細川正義門人の清水久義に鍛刀を学び、弘化三年、土佐へ下り、安政二年十月には土佐藩工となります。万延元年の終わりから文久二年の初め頃までの間に、再度江戸へ戻り、深川砂村の土佐藩邸にて鍛刀しましたが、慶応三年夏に土佐へ帰っています。晩年は嫡子幾馬と横浜で過ごし、明治二十年、七十五歳で没。年紀作に見る活躍期は、天保十一年から明治三年まで。
作風は、初期は丁子乱れ風の作もありますが、土佐へ下った弘化三年以降は、広直刃調、湾れ調の刃取りに、刃中は互の目足入るもの、沸崩れるものなどが見られるようになります。こういった作風は、古くは江義弘、新刀では井上真改、長曽祢虎徹らが得意としたもので、同工もこれらに私淑したものと考えられます。
銘は、『豊永行秀』、『左行秀』、『豊永東虎行秀』などと切ります。
幕末期、勤皇の雄藩であった土佐藩、その藩主山内容堂が、行秀の刀を『今正宗』と絶賛、またその雄壮な姿から、『土佐の長刀』とも呼ばれました。
本作は、嘉永五年、同工四十歳の頃の作、壮年期土佐打ちの優品です。
寸法二尺六寸七分弱、身幅、重ねのしっかりとした姿は、いわゆる幕末勤皇刀スタイル、地刃すこぶる健全、手持ちズシンときます。
小板目肌総体的に良く詰んだ精良な地鉄は、刃寄り流れて上品に肌立ち、地沸微塵に厚く付き、細かな地景繁く入り、互の目乱れ主体で、大互の目、小互の目交じりの刃は、刃縁の匂い深く、刃中互の目足、逆足、葉良く入り、金筋、砂流し烈しく掛かるなど、刃縁の明るさ、地鉄の美しさは素晴らしいものがあります。
同工最良期の土佐打ち、昭和二十六年の古い登録証は、大阪登録『五四四』号、これ正に『土佐の長刀』の名に相応しい逸品、強くお薦め致します。




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