生ぶ太刀 (太刀銘)吉元(福岡一文字)
(よしもと)
Tachi:Yoshimoto(Fukuoka Ichimonji)
古刀・備前 鎌倉中後期
保存刀剣鑑定書付き
寒山先生鞘書き有り
刃長:68.2(二尺二寸五分強) 反り:2.4 元幅:2.64
先幅:1.66 元重ね:0.64 先重ね:0.38 穴1
【コメント】
福岡一文字吉元の生ぶ茎在銘太刀、鎌倉中後期、同派最盛期に於ける代表工の希少な現存作、伝統の一文字丁子、腰反り深い踏ん張りのある太刀姿を示した備前太刀です。
一文字派は、鎌倉初期に興り、以後南北朝期に掛けて福岡、吉岡、片山、岩戸の地に栄えて多数の名工を輩出しました。中でも福岡は、一文字派の中で最も古く、同派事実上の祖である則宗を始め、代表工には延房、宗吉、助宗、行国、助成、助延、信房などがいます。福岡でもこれら初期の刀工は、それ以前までの古備前派の作風を踏襲した直小丁子刃主調の穏やかな作風を本位としました。同派の中でも、この時期の鍛冶を古一文字と呼びます。
鎌倉中期になると、同派は最盛期を迎え、華麗で絢爛たる丁子乱れの作風を展開、この期を以て、後世まで最高芸術と評される一文字丁子の完成を見ることとなります。この期の代表工には助真、吉房、則房を筆頭に、吉平、吉用、吉元、助宗、助吉、吉元、吉包などがいます。
また同派からは、後鳥羽院御番鍛冶が七名も輩出されており、当時の一派の実力を窺い知ることが出来ます。 本作は福岡一文字吉元の生ぶ茎在銘太刀、寸法二尺二寸五分強、腰反り深く踏ん張りがあり、先も反り深い優美な姿を示しています。
吉元は、福岡一文字助吉の養子とも、吉房の子とも伝わっており、その活躍期は、暦仁(一二三八~三九)、正元(一二五九~六〇)、弘安(一二七八~八八)、正和(一三一二~一七)、元亨(一三二一~二四)等の説がありますので、大凡鎌倉中後期に当たるかと思います。
小板目詰み、所々杢目、板目が大模様に流れて肌立つ地鉄は、地景入り、淡く乱れ映り立ち、丁子乱れを主体に、小互の目、小湾れ、小乱れを交えた焼き刃は、刃縁沸匂い深く、所々やや潤み、刃中丁子足、小足、葉入り、金筋、砂流しが掛かっています。
茎は多少荒れた箇所もありますが、完全に生ぶで穴一つ、銘字も比較的鮮明であることは、同派鍛冶を研究する上でも大変貴重な資料になります。
八百年近い星霜を経て今に伝わる鎌倉太刀、総体的な研ぎ減り、刃の潤み、鍛え肌は致し方ありません。
時代的には元寇(蒙古襲来)を始めとする数々の戦乱をかいくぐってきたと思われる太刀が、生ぶの状態で残っていること自体奇跡、これが日本刀のロマンであり、醍醐味の一つです。
まだ何処にも出ていない超激生ぶ品、鑑定書は令和三年二月発行、研ぎが少し古いので、まずは良い研ぎをピシッと掛けて、特別保存鑑定に出して頂く手順が良いかと思います。
福岡一文字の生ぶ在銘太刀は、中々お目に掛かりません。