太刀 了戒
(りょうかい)


Tachi:Ryokai



古刀・山城 鎌倉末期 大業物
第二十二回重要刀剣指定品
本阿弥光遜添え書き及び薫山鞘書き有り
丹波国園部藩主小出子爵家伝来品




刃長:69.8(二尺三寸強) 反り:2.0 元幅:2.77
先幅:1.65 元重ね:0.61 先重ね:0.37 穴4




鎬造り、鎬高め庵棟低め、小切っ先。 鍛え、小板目に板目を交えて良く詰み、所々柾流れ肌立ち、地斑状の白け映り立ち、地沸良く付き、地鉄良好。 刃文、直湾れ調の刃取りで小互の目、小丁子を繁く交え、刃縁小沸良く付いてやや沈み勝ちに締まり、刃中葉、小足、所々京逆足入る。 帽子、乱れ込んで先小丸に返る。 茎磨り上げ、先切り、鑢筋違い。 銅に金着せ二重ハバキ。 時代最上研磨。 白鞘入り。


【コメント】
了戒の重要刀剣太刀、鎌倉末期の来派代表工、霊元天皇、閑院宮(かんいんのみや)家、丹波国園部藩主小出家に伝わる由緒正しき伝来品です。
鎌倉中期から南北朝期に掛けての山城国に於いて、最も隆盛を極めたのが来一派であり、事実上の祖である来国行を筆頭に、国俊、光包、了戒、国光、国次らが活躍、皆技量高く、数多くの名物が残されています。
その中にあって了戒は、ただ一人入道銘を名乗る異色の刀工で、正嘉元年(一二五七)生まれ、来国俊十七歳の時の子で、十六歳で出家したとも伝えられています。
年紀作に見るその活躍期は、鎌倉末期の正応三年(一二九〇)から延慶二年(一三〇九)まで、名古屋市熱田神宮所蔵で子の了久信との合作太刀、短刀の『名物秋田了戒』を含め、重要文化財五口、重要美術品三口を数える名工です。
作風は、父来国俊に極めて近いものがありますが、小板目に柾流れを交えて白け風の映りが現れ、刃縁が白くうるみ勝ちとなるなどの特徴が見られます。中には柾目が強く現れ、刃にほつれや二重刃が繁く掛かるなど、一見大和物に見える作もあります。
本作は昭和四十九年(一九七四)、第二十二回の重要刀剣指定品、寸法二尺三寸強で小切っ先、美しい輪反り姿を示した気品溢れる在銘太刀です。
小板目に板目を交えて良く詰んだ地鉄は、所々柾流れ交じり、地斑状の白け映り立ち、直湾れ調の刃取りで小互の目、小丁子を繁く交えた焼き刃は、刃縁小沸良く付いてやや沈み勝ちに締まり、刃中葉、小足、所々京逆足入る出来です。刃は元から先まで健全、白く潤んで染みるような箇所は皆無です。
本刀には、その伝来を記した本阿弥光遜による添え書きが附帯しており、昭和七年三月(一九三二)、丹波国園部藩の最後の藩主小出英尚(ふさなお)の子、英延(当時子爵)が、皇族であり軍人、元帥陸軍大将も務めた閑院宮載仁(かんいんのみやことひと)親王より下賜された旨が記されています。更に遡れば、江戸中期宝永七年八月(一七一〇)、閑院宮直仁親王が、霊元天皇(後に出家して法王となる)より祝儀として下賜され、以後閑院宮家に伝来した旨も記されています。薫山先生の鞘書きにも、『小出子爵家旧蔵』とあります。
また大業物鍛冶としても名高い了戒ですが、かの有名な剣豪宮本武蔵もその斬れ味に魅了された一人で、愛刀の一つであったと伝わっています。
鎌倉末葉の来派を代表する了戒の典型作優品、伝来も含めて魅力満載の鎌倉太刀です。
















【売約済】商品番号:V-1961 太刀 了戒 第二十二回重要刀剣指定品 本阿弥光遜添え書き及び薫山鞘書き有り 丹波国園部藩主小出子爵家伝来品

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