刀 無銘(伝来国俊)
(でんらいくにとし)
Katana:Mumei(Den Rai Kunitoshi)
古刀・山城 鎌倉末期 最上作
第十八回重要刀剣指定品(昭和四十四年)(一九六九)
刃長:72.5(二尺三寸九分強) 反り:2.6 元幅:3.19
先幅:2.07 元重ね:0.80 先重ね:0.50 穴3
【コメント】
来国俊の重要刀剣、身幅しっかりとした力感溢れる勇壮な鎌倉太刀、その本領が存分に発揮された同工極めの白眉と言える名品です。
来国俊は、国行の子で、同派中最初に『来』の字を冠した刀工、以後皆がこれに倣いました。
徳川美術館所蔵の重要文化財指定の太刀で、『来国俊 正和二二年十月廿三日(一三一五)□□歳七十五』が現存していることから、仁治元年(一二四〇)生まれであることが分かります。因みに同工が太刀に年紀を切る場合、佩裏ではなく、銘の下に続けて切り添えます。これは来国光、備中青江、備前雲類等にも見られます。
銘に『来』を冠しない『二字国俊』時代の作を合わせると、国宝五口、重要文化財十八口、重要美術品三十七口を数えますが、これは同派中最多であり、名実共に同派の筆頭鍛冶と言えるでしょう。 年紀作に見る活躍期は、弘安元年(一二七八)から元亨元年(一三二一)まで、作風は、二字国俊が身幅しっかりとして、猪首切っ先の勇壮な姿に、丁子の目立つ華やかな乱れを焼くのに対して、来国俊は小切っ先で細身、若しくは中切っ先で尋常な姿が多く、直刃調に小模様の乱れを交えた温和な出来が多く見られます。刀姿は、同時期の備前物などが腰反りであるのに対し、同派は反りの中心が真ん中にくる京(輪)反りを基本としています。
本作は、大磨り上げ無銘ながら、『伝来国俊』の極めが付された名品、昭和四十四年(一九六九)、第十八回の重要刀剣指定品です。
寸法二尺三寸九分強、京反り深めに付き、身幅、重ねしっかりとしています。
前述したように、来国俊時代の作は、上品でやや細身の姿が多く、これまで本誌に掲載した作で、大体元幅2.7㎝前後、在銘品では2.5㎝程の作もありました。これ位身幅がしっかりとした作はまず見ません。
一番下が生ぶ穴と鑑せられ、三寸程磨り上がっていますので、元来は二尺七寸程あったことが分かります。
小板目に板目、杢目を交えて良く詰んだ精良な地鉄は、所々来肌と呼ばれる大肌を交え、ほのかに沸映りが立っています。
細直調の刃文は、刃縁小沸付いて明るく締まり、所々二重刃風の沸筋掛かり、刃中小足、小互の目足、逆足、葉頻りに入り、刃中上品な金筋、砂流しが掛かっており、帽子も綺麗な小丸に返っています。
探山先生鞘書きには、『身幅広めで輪反り尚深く付いた凛としたる体配、温潤精美なる肌合い、刃縁明るく冴える刃文を焼き、巧みに丸く返る帽子に結ぶなど、格調高く清雅なりて同工の特徴顕かな優品也。』とあり、図譜には、『身幅もやや広く、反り高い太刀姿は、殆ど生ぶ茎のものを見る感がある。地刃の出来からして、来国俊の所伝は首肯し得る。健全な良刀であり、表裏に掻き通した棒樋も上手である。』とあります。
これで生ぶ在銘なら国宝級、大変なことになります。とにかく魅力的な来国俊、これは絶対に見過ごせない珠玉の名刀です。